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◆ 毎年11月になると各地で酉の市が開催され、大きな縁起熊手を持ち歩いている映像を良く見かけるようになります。テレビのニュースで流れるのは東京では浅草の鷲神社が有名で、他にも北千住の鷲神社、三島明神の酉の市にも多くの参詣者が集まります。
特に鷲神社の境内で売られる縁起物として熊手は有名です。18世紀の末ごろ、江戸の商人 たちが縁日の酉を「取る」という言葉にかけ、熊手を金銀を取り込む道具に見立て商売繁盛の縁起物としました。これ以外にもお多福面、入船などの縁起物が
露店で商われますが、「八人の頭になれる」との縁起から八ツ頭という芋が売り出され、「お酉さま」では必ず熊手と芋を買うものとされています。
明和8年(1771)頃から盛んになった浅草長國寺の酉の市では、花又で商われる熊手よりずっと大きく華やかな縁起熊手が出現し、後にはかんざし熊手など多種多様の熊手が人気となります。
一方、浅草酉の寺では、江戸時代から開運招福のお守りとして、たわわに実る稲穂を付けた、小さな竹の熊手「かっこめ熊手守り」を授与していました。このお守りは、今も市の日に限り、酉の寺や各々の神社から授与されています。
◆ 酉の市の始まりは江戸近在の農村で、葛西花又村の収穫祭と言われています。江戸時代、この神社のあるあたりは豊かな水田に恵まれ、秋に収穫を 祝う祭では酉の日に農具を売る市が立ちました。その日は鎮守である鷲大明神に市がたち、農具や地域の農産物が露店で商われました。それらの中で、落ち葉などを「掃き込む、かき込む熊手」と大きな唐の芋「頭の芋」、粟で作った黄金色の「黄金餅」が、江戸市中からの参拝者が増えるに従い実用性より、洒落っ気を加えた縁起物へと変化していったと伝えられます。
戦場に赴く武将が神仏に戦勝を祈願する際に軍扇を奉納し、めでたく勝ち戦にて帰陣したさいには、軍扇は熊手のように反り返った骨だけになっていたことから、その故事にあやかって「開運を招く」熊手守りになったとされます。小さな竹の熊手にたわわに実る稲穂を付けたお守りで、福をかっ込むという江戸っ子らしい洒落が利いています。江戸時代には髪や襟首に差すと強運に恵まれるといわれ、絵にも描かれたものでした。
◆ 元々、熊手は穀物や落ち葉をかき集めるための道具で、一般的には竹でできています。熊の手のように爪が広がっているため「熊手」といわれ、現在でも一般に広く使われています。この熊手が昔、祭礼の日に神社の境内で売られることがありました。とりわけ、商売繁盛の神がまつられた神社で熊手がよく売れたことから「熊手で金儲けができる」といわれ始めたようです。さらにそれが「熊手は金銀をかき集めて取り込む」と発展し、さまざまな飾りが付けられ、縁起物の1つとして売られるようになったのです。毎年11月に神社で行われる酉の市では、今でも縁起物として人気を集めています。
また、鷲が獲物をしっかりと捕らえることになぞらえて、運を鷲づかみすると言われるように、鷲の4本爪のうち3本を熊手の手に、1本を柄とした3本爪の熊手が後に5本爪になり、「運をかっこむ」熊手守りになったと言われます。翌年の更なる招福を願って、熊手守りは年々大きな熊手に換えてゆくのが良いとされます。我が家では元旦に家族で天橋立にある文殊堂で買う縁起熊手も、特大のものとなって床の間に飾られています。その床の間に飾っていた縁起熊手に興味を持ったカナダからのお客様にプレゼントしたら、その年は病気・入院・夫婦喧嘩と多難な一年となってしまいました。今度こそこの熊手で博物館の利用者と福をかき集めたいものです。
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