森田童子 
 vol.70
 2003/7/20 

 もう10年近く前になるでしょうか、TBSのドラマで高校教師がヒットしたとき、ひとりのルポライターが彼女をたずねました。彼女は普通の主婦になっており、「もう、語ることは何もありません」といったそうです。何年もの間、森田童子のCDを探していました。どこにも、ありませんでした。そして、「高校教師」のヒットで再販されたものを、ようやく手にいれました。当時はまだモンゴルに住んでいましたので、手に入れたというよりも義妹がカセツトテープに録音したものをたまたま送ってくれたものでした。
 まだ、何も分からなくて、だから、必死で生きていたあの頃、森田童子は私たちの影だったように思います。森田童子は今から20年以上前に極めて一部の人に絶大な人気を誇っていた女性歌手です。一貫して本名、素顔を明かさず、実生活について一切語りませんでした。彼女の歌の魅力はなんといっても、その詩の中に隠された高い文学性にあるといっても過言ではないでしょう。優しく、妖しく、透明で、清らかな彼女の歌は今聞いても魅力的です。あまりに切ないヴァイオリンの旋律、彼女の声の抑揚まで記憶するほど、それこそLPが擦り切れるまで聞いたものでした。

◆ 森田童子はコンサートの中で手話を使いますす。難聴の人が、椅子で音を感じとれるというホールで、手話通訳をつけて歌ったこともあります。「五体満足な普通の人でも、どこか悪いとこがあって、完全な人聞なんているわけないと思ってます。だから、みんな障害者」。男っぼい外感とは、ちょっと不釣合いな感じの高めの声。「大人が酔えてほろっと涙が出るようなアルバムをつくりたい」と、サングラスをはずして話す彼女からは、女らしさが・・・。その素顔に何故かホッとし、黒のイメージがすっと遠のいた。こんな存在感のある女性歌手って今は誰もいないでしょう。

 25年前の学生時代、森田童子のコンサートに一度だけ行きました。当時住んでいた東北の小さな田舎町にあったライブハウスです。デビュー間もない頃でまだ知名度も高くなく、観客も少なかったように記憶しています。伸ばせば手が届きそうなくらいの近距離で、「地平線」の雷鳴がとどろく始まりは迫力があり、忘れられません。ある日のアパートで、私は一人の学生と話をしていました。「森田童子のコンサートに行く」と聞かれ、「自分も行きたい」と言ったのです。森田童子の事は知らないけど、行ってみたいと。それならばと、一緒に連れて行ってもらうことになりました。レコードのジャケットには黒尽くめ姿の松田優作に似た印象が強烈に感じたものです。森田童子の描き出すアングラで妖しく危ない世界は当時多感な学生だった私には憧れでした。カーリーのロングヘアで黒のサングラス、初めは男か女かわからなかったけどそれがすごくかっこよかったのです。私は男性だとばかり思ってました、当時。借りて帰ったレコードを聴いて、さらに驚き。自作の歌はいつも「ぼくは・・・」「君は・・・」で問いかけ、回想します。

 会場に着き、コンサートを堪能。その素晴らしさに一緒に行った友人たちもみんな感動。帰り道、まだ時間があったので通い始めたばかりのスナックへ。大学で酒を飲んでは暴言を吐いて人を傷つけ、人に傷つけられていました。大学を卒業して、どこにでもいるようなサラリーマンになり、それでも酒を飲んで暴れまくっていた頃、ある日、ふと森田童子の歌が小さなスナックの有線から流れていました。
 みんな何も持たず、誰もいなくて、これからの可能性と夢だけしかなくて、それだけしか語れなかった時代です。そして、何もできず、何者にもなれず、何も、何も、何も無かったことに重く痛く泣きながら、郷里に帰れない自分の姿がそこにはありました。そして可能性以外に何も持てないまま齢を重ねてしまった私は、何処に帰るのだろう?・・・・遠い青春のひとコマです‥‥ (酔った勢いでHPを更新していると何でも書けるので怖くなってしまいます)。

 狭く小さな古いアパートの一部屋。真夏の暑い午後、むっとする熱い空気の中でまだ生きているかのように光る額の汗、開け放した窓から流れ込む蝉の声がけだるい暑さが助長します。
  地方の小さな田舎町で生まれ育った私は、いつか広い世界、大都会へ出て行きたいと思っていました。歌の中に心の痛みを歌ったシンガーは多いのですが、森田童子のように誰もが若かったことを思い出させるような、心の底の何かを引き剥がす強烈な淋しさを感じさせる歌手は他には存在しないかも知れません。今生きていることの嘘臭さ、自分という存在の空っぼさ、友人との別れや喪失感を一度でも感じることのできた人間ならば、森田童子の歌に、自分の内側の大切にしておきたい気持ちの何かを発見することができたのでしょう。