雁風呂の季節 
 vol.63
 2003/4/15

 春の季語に「雁風呂」があります。一般的には冬の話として知られていますが、季語では春の扱いになっていることを先日知りました。雁風呂は、青森県津軽の外ケ浜に伝わる伝説から生まれた季語だそうです。秋に雁が遠くシベリアやカムチャッカ半島から海を渡って来るとき、小枝をくわえてきて、海上で翼を休める時に水面に浮かべ、陸に着くと浜辺に落としていきます。翌春、雁が帰るとき、またくわえていくのですが、死んだ雁の数だけ小枝が残るので、それを拾い集めて風呂を立て、雁を供養したというのです。あくまでも伝説ですが、哀れでロマンチックな季題のひとつです。

 津軽半島の貧しい村人たちにとって、海辺に打ち寄せられた小枝は貴重な燃料だったはずです。厳冬の荒々しい波が運んでくる小枝を、春の訪れをじっと待って村人たちは海辺に出て拾い集める。それはまさに雁が北へ帰る季節でした。海からの贈り物への感謝の気持ちが、雁の渡りと結びついて、「雁風呂」という味わい深い民話を創りあげていったのかも知れません。また、津軽の人たちは目の前にある津軽藩の御料林への立ち入りが許されず、毎日の薪にも苦労が絶えなかったそうです。海辺に打ち寄せられた小枝は、津軽の人たちにとって貴重な贈り物となったのでしょう。春になって北へ帰る雁の鳴き声を聞きながら海辺に打ち寄せられた小枝を拾ったこともあったことでしょう。厳しい風土と貧しさが、このような心をやさしく、またあわれを誘う民話を生んだに違いありません。

 最近まで本当にあった話だと思っていたら、残念ながらこの伝説は津軽地方には残っていませんでした。その地方に住む何人かに確認してみても、知らないと言われるだけで、似たような民話もありません。厳しい自然と折り合いをつけなければ暮らしていけない人々の情感があふれた、哀しくも美しい伝説とも思えるのですが、現実はサントリーウイスキーのテレビコマーシャルの「雁風呂の伝説」が起因して広まったのかも知れません。海岸の焚火とナレーションが哀しい伝説を美しい映像に表現して全国放映した影響でしょうか。津軽に住む人でさえ、このとき初めて「雁風呂」を知った人が多かったと聞きます。