アクセス10万件と近況報告 
 vol.55  2002/12/3

 おかげさまで11月25日に3年3ヶ月でアクセス10万件になりました。この間、ヤフーに登録されたり、知らないところでリンクされてアクセスが伸びてきました。ヤフーに登録された日は約1200件を数え、やはり力の大きさを知りました。後は徐々に減り続け、約2週間で元のアクセス数に戻りました。思いがけず、アメリカやモンゴルから、ホームページを見てビックリなどという知人たちからのメールも相次ぎました。10年も音沙汰もなく打ち過ぎていたのですが、ホームページを通して親交を重ねることになったケースも数多くあります。

 仙台の親戚や知人たちも見てくれているようで、1ヶ月も更新がないと体調を崩しているのではないかと心配してくれております。何気なくホームページに書いた入院話も読んでいただき、早速メールや電話をいただきました。誰も見ていないだろうと勝手に好きなことばかり綴っている有様ですので、親戚ご一同様にとっては可笑しなことばかりだと思います。仙台では叔母や叔父に囲まれ、本当にお世話になりました。今思っても楽しいことばかりでした。荒巻時代が一番印象深く、毎日変化があって楽しいことばかりでした。知り合いのいない妻にとっては、特に心強い思いだったようです。今でこそ、全国あちらこちらと渡り歩いて、日本ってこんなに狭かったのかと感じますが、当時は私たちが暮らしている地域のことさえ分かりませんでした。
 今では郷里を離れて暮らしているせいか、身内に関する情報は極端に少なくなります。先日も家内が仙台へ電話をしたら、今年は厄年と呼ぶようなことばかりが起きていたことを後で知りました。私と同じ年のいとこは、つい数ヶ月前に外国で脳溢血で倒れ、今も不自由な体でいることを知らされ、あまりのショックにしばらく呆然としておりました。伯父や叔母たちの周囲でも病気で倒れる人たちが続き、早い回復を祈るばかりです。

 仙台という東北の中核都市で暮らし、モンゴルという外国へ行き、自ら計画したわけでもないところで全てが結びつき、必然的に田舎にやって来ました。田舎で暮らしていると、山の木々の成長をはじめ周囲の全てが一年一年結果を出して積み重なり、時間の経過が目に見えてきます。こちらでの暮らしを始めるのには明確な目標があったわけではありません。田舎の暮らしに憧れていたけでも、都会の生活が嫌になったわけでもありません。ただ、ちょっと住んでみようかとという気軽な感じです。あまり深く考えていなかったのが良かったのかも知れません。物事はみんなそうですけど、深く考えて明確な目標を持ち、それが達成しないと挫折してしまいます。だけど、田舎で暮らしていると、思うようにいかないことも沢山あるわけです。やることはやるけど最後は目標通りになるとは限りません。そのことを田舎暮らしで改めて思い知らされました。仕事がうまくいったと思うよりも、実際おもしろいのはその過程だということを知りました。我が家は本来、農耕民ではなく遊牧民だと思っていたので、一ヶ所に居を構えることがあまり想像できませんでした。都会から遊びにやって来る友人たちは「空気もいいし、静かでいいね」と訳もなく感動します。そうは言っても「こんな所に3日もいると飽きてくる」「ネオンが恋しい」という知人もおります。確かに都会は面白いし、時々出かけて夜な夜なバーなどに出没するのも悪くはありません。たまには都会の悪い空気も吸わなければ、体に良くないし、田舎の良さも分からないと思います。移り行く季節の喜びを受け止め、穏やかな潤いのある時間が過ごせたらと思います。無理をしないで自然体であれば、自然に自分の居場所が見つかるはずです。

 長男は高校3年でいよいよ受験の年になりましたが、相変わらず野球小僧です。将来は教師になって部活動で野球を教えるんだ(?)などといっているようです。高校3年間、野球部だけは皆勤賞で、せめて希望する進学先が早く決まればと思います。次男は中学1年で、長男同様に野球部に入っています。夏休みの課題は、「アメリカザリガニの脱皮について」ですから、相変わらず生き物が好きです。小学生のときにはアフリカやアマゾンに行って探検するんだなどと言っていました。中学生になると行動範囲も一気に広がり、自転車で遠出をしたり、みんなでバーベキューをしたり、少し頼もしく感じるこの頃です。妻は早朝から子供たちの名前を遠吠えする癖があり、今日も体調がすこぶるいいようです。朝の目覚めは子供たちの名前で起きる習慣となってしまいました。朝はまさしく台風の目の如き動きをし、食事の準備・洗濯・掃除・庭の水撒きと八面六ぴの活躍ぶりです・・・そんな風に書いてくれと脇から話しております。私といえば家族全員の病気を一手に引き受けている状態で、見た目には健康そうですからおかしなものです。入院当日にも同僚たちから「元気そうで何より、今度一献やりましょう」などと病気だと思ってもらえません。今回はやや長期入院になったので、ようやく体調が悪いことを察してくれたようですが・・・。

 最後に控えた我が家の5人目の家族である駄犬ゴンも4才になり、我が家の「セキュリティー番犬システム」としての働きをしています。本当に番犬になっているかは定かではありませんが、犬小屋の上に熊が出たときには鳴声一つしなかったという曰くつきです。自分よりも小さなカエルにはまるでオオカミが出たかのごとき吠えまくります。やはり飼犬は飼主に似るものなのでしょうか。デッキ付犬小屋という高級犬舎に住み、ドッグフードは後足で蹴って絶対食べないというポリシーを持っています。何の食材を利用しているのか確認が取れないものは消費者として納得いかないと食事毎に吠えて訴えている姿は涙ぐましく感じます。人間でさえ賞味期限切れやBSEに揺れる食肉問題があるくらいですから、ドッグフードは考えてみても不安が残ります。それと油の多い食事も健康に悪いので食べません。とんでもない我が侭な犬かと思われるでしょうが、犬には犬の悩みがあるんだと、人間が話すような鳴声で訴えます。次男の同級生たちは人間の言葉がわかるようで気持ち悪いと話しています。特別な贅沢は望んでいませんが、いつも飼主のそばにいるだけでいいのです。

 10月にはモンゴルから使節団が町にやって来ました。雪害で親を亡くした子、孤児施設の子供たち、遊牧民の子供、様々な境遇に置かれた子供たちを町が招聘しました。地方からの小さな国際交流ですが、日本政府のような相手のことを考えないような外交とは違い、地に足の着いた交流を実践しています。当地は日本三景天橋立に程近い場所ですので、機会があれば是非ともお立ちよりください。いずれ体調が良くなりましたら、一度家族で仙台にもお邪魔したいと思います。それまで体調が回復できるよう頑張りますので、また皆様と一緒に一献傾けられたらと思います。