◆ 携帯電話を使った犯罪が急増しています。日本の携帯電話普及率は世界でもトップだそうですが、携帯電話をかけながら皆が一人で話している光景はどことなく不気味に見えてしまいます。91年当時、香港に遊びに行ったら、誰もが大きな携帯電話を持っているのに驚いたことがあります。日本では香港ほど普及していない時期だけに、将来の日本を見ている気がしました。狭い地域の中であっちでもこっちでも携帯電話をかける必要が本当にあるのか不思議な感覚です。その後、日本での携帯電話の普及は目を見張るものがあります。今では小学生さえ持ち歩いている世の中なのですから・・・。
ああだこうだと書いてみても、携帯電話が今の社会において必要な連絡媒体であることには違いありません。今では持っていること自体が特別なものではなく、ごく当たり前のことです。いつでもどこでも連絡ができる安心感は確かに大きいと思います。最近の若者は友人関係が希薄で、深いつながりがないため、常に連絡を取り合っていないと友人関係が確認できないと言われています。だからこそ、携帯電話で取るに足らない話をする若者は、友人との関係には過度と言っていいほどの関心を示しますが、社会規範には関心がほとんどないのです。つまり若者の対人関係の志向性は狭く、自分の友人というごく限られた人間関係の形成や維持に関心を寄せる傾向があるといわれることです。
◆ このように携帯依存型人間が激増中です。若者は携帯電話のコミュニケーションに没頭するあまり、自分を見失うことがあります。顔を見なくても話ができる気楽さ自分だけの世界を日常的に作ることができる生身の人間とのコミュニケーションに傷つくことを避け、しかし孤独になることを嫌う若者に、他人との貴重な出会いの場を提供しているともいえるかも知れません。
携帯電話は若者だけの文化ではありません。活用次第では高齢者にも便利なシステムを構築できる可能性を持っています。携帯電話というだけで、若者という認識が既にできあがっているが、本当に必要なのは若者ではなく高齢者なのではないかと思います。便利な道具は便利なものとして使ってこそ、生きてくるものです。全面的な人付き合いを好まなくなっているのは、本当は若者だけではありません。全世代的な傾向であるといえます。大学生へのアンケートで、今の交友関係は携帯電話なしではあり得なかったと9割の学生が答えています。
公の場に個人の私的空間を持ち出し始めています。公共の場で、自分のしたいように振る舞い、罪悪感のない人たちが増えています。公共の場、友人同士、マナーを完全に忘れてしまった社会は、収拾のつかない「勝手」のみが氾濫した社会になってしまいます。最近は居酒屋でもスナックでもあらゆる場所に携帯が出没してきます。小さなテーブルに向かい合った友人同士、二人で会話を楽しむでもなく、メールの早打ち。携帯かけあって友達と話し合って、それぞれが一人で盛り上がっている不思議な光景。携帯を持つことが友人を確認する必需品となってしまい、共通した時間を共有している感覚。また、メールの返事が来ないと存在そのものを否定されたように感じるらしい。携帯を持ち忘れただけでパニックになる人たちも多いようです。不安になって自宅に戻る、または家族に確認してもらうという。自分の分身だと思っていることが怖い携帯電話。
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