ハマトラ復活の兆し 
 vol.37  2002/6/28

 最近、ハマトラが再び脚光を浴びているようです。田舎に暮らしていると、流行には関係ないと思われがちですが、意外にも流行に敏感なのが田舎の特性でもあります。地元のことは知らなくても、都会のことはよく知っています。
 ところで、ハマトラって、いったい何かご存知ですか? 知っている人はある程度、年齢が高いのではないかと思いますが、けして横浜の阪神タイガースファンのことではありません。そういや、女房もかつてはハマトラだったかな!? いや、ニュートラだったかな?

 ハマトラとは「横浜トラディショナルファッション」のことで、70年代後半から80年代前半にかけてファッション雑誌の紹介をきっかけに全国的ブームになったものです。不確かな記憶ですと、フェリス女学院大生の着こなしがきっかけだったと思います。雑誌「アンアン」や「J・J」がニュートラやハマトラを育てていったように、片手にアンアンが常識の時代でした。ちなみに「J・J」って、どんな意味か知っていますか? 横文字2文字でおしゃれなイメージだけが先行していますが、元々は「女性自身」のJとJを安易につなげただけという安直簡便なネーミングだったのです。ハマトラの定番と言えば、「フクゾー」のポロシャツ、ベストやカーディガン、ハイソックス、そして「ミハマ」のかかとの低い靴に、「キタムラ」のショルダーバッグが定番だったと思います。流行に左右されないスタイルとして定着していましたが、今では親子のファンもいるほどです。ハマトラと聞くと、なんとなく上品で元気な印象を受けるのは私だけでしょうか。ハマトラに対してニュートラは関西の山の手、神戸から発信されたもので、お互いに対抗意識があったようです。 
 最近は、この一部を自分のファッションに取り入れることが世代を問わずに受け入れられているようです。ミハマではヒールの低い靴が子育て中の女性に受けていますし、キタムラでも2万円前後のカバンが好調ですし、海外ブランドに負けないセンスと価格、機能性が重視され始めたようにも感じます。20年以上前に流行ったブームだとばかり思っていたら、今の女性にも商品の落ち着いた感じが新鮮に受け止められているのかも知れません。

 学生時代、アイビー少年で過ごしていました。アイビーは蔦の意味ですが、ファッションではアメリカの東部8大学のアイビー・リーグから由来しています。アイビーと言えば石津謙介氏のVANであり、高校・大学生の頃はアルバイトをしてはVANを買っていました。同級生がメンズクラブの雑誌に紹介されたときのショック、VANが倒産したときのショック、そして気がついたらただのオヤジになっていた自分を悟ったときのショック。今の流行も悪くないと思いますが、ハマトラやアイビーに比較してインパクトに欠けるのは、私が単に普通のオヤジになったからなのでしょう。同じオヤジでも、アメリカのオヤジはやはり格好いいものです。例えば、89年にアメリカのブッシュ大統領が誕生し、トラッドブームが再燃しました。最近では親子三代でアイビールックというのも珍しいことではありません。

 70年代前半、学生運動がまだまだ盛んで、政治色の強い世代。70年代後半は逆流するかのように男女ともにファッションに情熱を燃やせた世代かも知れません。テニス、スキー、ゴルフに興じることができたバブルを背景に、海外ブランドを着ることが普通になったことも確かです。そして80年代、女性はJ・Jガール、男性はポパイ少年と呼ばれていました。ニュートラ対ハマトラで関西VS関東のファッションの違いが出てきたのもこの頃です。当時、東北に住んでいた頃は、絶対に関西なんかで暮らすものかと固く誓っていたのに、気がついたら兵庫県但東町(?)です。

 伝統的なスタイルは、いつの世でも風化せずに残りやすいものです。時代や社会背景で、微妙に変化していくため、原形を見たらまったく違うこともあります。洋服は、紺に始まり紺に終わるという人もいます。いろいろなスタイルをしてみた結果、やはり伝統に戻っていくのは誰しも経験していることでしょう。それは、次のトレンドの出発のための準備だと思うのです。当時の関西と関東がまったく違う価値観で動いていたことが、今では自然な気がしてなりません。今、オリジナリティーが求められている時代だと思います。自分が生まれ育った自然環境、温度や湿度などが影響して美は生まれていくのだろうと思います。

 時代に遅れをとっていては、現代の厳しい社会を生き残れないとずっーと信じてきました。時代をつかむために、万年躁病のようになって動き回り、新しい風俗、新しい情報に絶えず接していないと不安でたまりませんでした。泡のように生まれては消えていく時代の流行、そしていつの間にか自分を見失って疲れている自分に気がつきました。