◆ 春はあけぼの、ようよう白くなりゆく・・・・・春はいろいろな形でやって来きす。咲き競うチューリップの花であったり、入学式に舞う桜吹雪であったり、ふるさとの海であったり、人それぞれの春を受け止めていきます。日本人は特に「季節モノ」に弱い民族らしく、季節と心が共鳴作用があるかのように、美しく変化していく自然に圧倒されてしまいます。しかし、今年の桜前線は異常なほど早く、すでに東京では散り始めているようです。当地では後数日で満開になりそうですが、それにしても雪の少なかった今年の冬でした。大変な除雪作業もほとんど経験しませんでした。
◆ 春の暖かい夜風に誘われて、駄犬ゴンを連れての散歩。峠を越えると日本海なのですが、今夜はたんたんトンネルそばにある名水「福寿の水」まで。一息ついて、チョットした大人の遠足といったところだろうか。そして、春と言えば、私にはやはりウミネコなのである。八戸市の鮫駅から蕪島に向かって歩いていくと、弁天様のお使いと呼ばれるウミネコの鳴き声で迎えられます。天然記念物として保護されていることもあり、数万羽というウミネコの大乱舞が見られる景勝地です。特に蕪の花咲く時期が黄色と緑色、そしてウミネコの白色が島全体を埋め尽くしてしまう景色は壮観そのものです。ヒッチコックの映画「鳥」そのものの世界が満喫できますけど、鳥嫌いの人にとっては最悪な場所です。この北国の八戸に張るの到来を告げると言われるウミネコだが、2月に蕪島に飛来し、5月頃には4〜5万羽にもなり、そして夏の終わりにはいなくなります。
◆ この蕪島を起点として大久喜までの「うみねこライン」の春もいいものである。灯台のある葦毛崎、大須賀海岸、白浜海岸、種差海岸、金浜海岸と続き、紺碧の海と白砂の絶妙なコントラスト。シンプルだけど美しい。学生時代には、このうみねこラインが大好きで、よくバイクで走ったものである。いつ来ても、知らない国の海岸のようで、新しい感動がいつもあった。うみねこラインの一角に小さな標柱が立っています。日本画家の東山魁夷の作品「道」のモデルとなった場所を知らせる標柱である。東山画伯は明治41(1908)年、神奈川県横浜市生まれ。東京美術学校日本画科卒業後、研究科に進む。昭和8(1933)年、研究科終了。その後、渡欧しベルリン大学哲学科美術史部に学ぶ。昭和22(1947)年、第三回日展に出展した「残照」が特選、政府買い上げとなり、これをきっかけに風景画家としての道を歩む決意をする。この「道」は、昭和二十五年第六回日展への出品作であり、これによって画壇にも社会的にも認められることになった東山芸術の代表的作品です。画伯の芸術性の最も繊細で最も核心にふれる部分のみを抽出したような、極端に単純化された構図や色彩が格調高い東山芸術の神髄を表現しています。また「道」は、画伯自身が晩年に至るまで『この作品に何を加えたか』を問い続けながら画業に励んだとされる記念碑的作品といわれています。
◆ 八戸に住んでいる友人たちと話をしていると、あまり変化のない町で・・・、不景気な話ばかりで・・・・。こんな調子で地元を見ているのかと思うほど驚かされてしまいます。我が家は八戸を離れて丸7年になりますが、季節の移ろいの中で八戸で暮らしたことを重ね合わせてみたり、懐かしさが先に出てしまいます。生活者の目ではない視点でみるとこんなものなのだろうと思うときがあります。しかし、そこに力強く根を張って生きている人たちにとっては、甘い感傷に浸っているような気分にはなれないのは当たり前のことです。
24万都市の八戸、今暮らしている但東町は5700人、この但馬地方1市18町全部併せても20万弱です。但馬の中心地である豊岡市でさえ5万人弱。でも、そこに暮らしている人たちでさえ、人口の数ばかりで議論を進めたり、「うちの町はあそこよりも都会だ・・・」「やはり但馬の中心地」「文化都市はやはり都会が似合う」とかのオンパレードには辟易してしまいます。
◆ でも、八戸から但馬地方を見ると、豊岡市であろうと5700人の小さな但東町であろうとあまり違いはないのです。但馬に暮らすある人たちから、青森は田舎で暗いイメージがあると言われました。八戸なんかは裏寂れた田舎の港町といったイメージがするらしく、夫婦で笑ってしまいました。そんなことよりも暮らしている土地にどれだけの愛着があるのか、どれだけの思いが投影できているのかじゃないのかと・・・・。常に柔らかい心を失わないで、日々新たな視線でいればもっと素直な感動はいくらでも私たちの周囲にある気がします。小さい子は何を見ても、驚き、そして喜び、自分自身もそんな若い頃はいつも感激、感動していたことを、この機会に思い出しています。
◆ そうそう、南部といえば北部かと思うかも知れませんが、青森県の南部地方のことです。南部家の殿さんの領地のことです。この南部から但馬に移り、早いものでちょうど7年が過ぎてしまいました。同じ土地に7年も定住するなんて、初めての経験です。とうとう我が家も遊牧民の名を返上しなければ・・・。 |