◆ 伊勢神宮へ如布(にゅうの)区を代表して田庫(たくら)2組の隣保14人が代参として出かけてきました。初めての経験ですが、生きた民俗文化を知る機会にもなり、個人的に楽しむことができました。
伊勢神宮は「お伊勢さん」「大神宮さん」「内宮さん」などと親しみを込めて呼ばれていますが、「皇大神宮」が正式名称で、天照大神が祭神です。日本各地の氏神を代表する総氏神ならではです。もともと皇室の先祖を祀り、国の政を祈念する聖所であり、皇位継承やご成婚などの折に、皇族の参拝などでもよく知られています。
江戸時代にはお伊勢参りが一種のブームになったことでも伺えるように、古くから庶民の憧れを集めてきました。伊勢神宮の下級神官「御師」が全国を回ってお札を配り、伊勢参拝を働きかけたことも大きな要因だと考えられます。江戸時代中期には年間50万人以上で、60人に1人は訪れたという伊勢参りです。その影響で、土地を離れる農民や、大きな集団での活動が目につきはじめたため、藩によっては禁止や制限されるところもあったようです。
◆ 昨今、代参という行為そのものが無くなりつつある現在、貴重な経験をしました。江戸時代にタイムスリップしたような感覚ですが、こんな時代だからこそ、他人を思う行為の大切さがしみじみと伝わります。
かつて伊勢詣は、「伊勢講」という名の団体旅行です。毎月一定の金額を積み立てて、一年または数年に1回、くじを引いたりして代表者が伊勢参りをしたのです。費用や社会情勢から一生に一度、伊勢に参拝できるかどうかですので、代参はくじ引きが一般的だったようです。でも、これでは農家の家長程度しか参ることができず、着の身着のままに突然、伊勢参りに出かける輩もいたようです。これは通行手形や旅費もないままの参宮ですので、「ぬけ参り」とも呼ばれていました。
代参に選ばれると、初春か晩秋の農閑期または年末年始に参拝します。伊勢に出かけるときは、講の人たちが餞別を渡し水杯を酌み交わして村境まで見送ったそうです。帰ってくると、村境まで迎えに行き、そこで酒宴を張りながら村入りします。代参の者は伊勢神宮のお札と土産を伊勢講の人たちに配ります。これが一般的な伊勢参拝の手順です。
◆ 19日の早朝に出発、当日の昼過ぎには伊勢神宮に着き、無事に代参を済ませました。五十鈴川にかかった大きな鳥居をくぐり抜け、杉の大木の中を少しずつ歩いていくと、原始林といった雰囲気の森の中に様々な建物が見えてきます。肝心の正宮は脇からしか見えませんが、ここは写真も撮影禁止になっており、知らずに撮ろうとしたらすかさず衛士が走ってきて制止させられてしまいました。それにしても1200年間も20年に一度、ご神体を移すのですから、大変なことです。次の式年遷宮は平成25年だそうです。
依頼されたお札も購入し、伊勢土産の「赤福」も買いました。伊勢参りの後は近くの「おかげ横丁」で昼食と買い物。このおかげ横丁は江戸時代末期から明治時代の建物を移築・再現したもので、伊勢の老舗31店舗が並んでいる。伊勢情緒でおもてなしをしていた頃を彷彿とさせる雰囲気つくりも粋である。もう少し時間があればゆっくり散策してみようかとも思ったが、二度目なので次回は家族と来てみたい。歩き疲れたら、やはり味どころ。風情ある団子屋、駄菓子屋、乾物屋、名物赤福など、思った以上に楽しめるメニューが多い。今回は予約してあったお店へ直行。
昼食に出た「伊勢うどん」。初めて食べましたが、見た目は「真っ黒なしょうゆ漬けのうどん」といった具合で、お世辞にも食べたくなるような代物ではありません。でも、食べてみると、見た目よりも繊細で美味しいうどんでした。この醤油は伊勢特有の大豆で作られたたまり醤油で、太いうどんにからめて食べるのが特徴なのです。特別な具はのっていなかったのですが、天ぷらもあるようです。伊勢市内にはこの手の店が100件ほどあるそうです。何か怪しい「秋刀魚の干物」が売っており、みんなで買っていましたが、三陸生まれの私にはどうしても秋刀魚を干物で食べる気にはなれません。
◆ 実際には代参した後が本来の楽しみだったのかも知れませんが、考えようによってはうまくできたシステムだと思います。今晩の宿は大阪です。しばらくぶりの大阪ということもあり、若者同士で宗右衛門町にくりだしました。不景気なのかパッとした活気も無く、どこの店に入っても「暇だ !」の連発。グリコの電飾看板だけが賑やかな大阪でした。翌日は大阪市立美術館で聖徳太子展を見学。ゆっくり時間をかけて見る人、足早に駆け抜けていく人、ロビーの隅っこで口を開けて寝ている人、隣保にもいろいろな人たちがおり、各自の個性がよく出ている美術館見学でした。気になる点として、四天王寺動物園界隈のホームレスの増加には驚きました。道の両サイドは青いビニールシートで作られたダンボールハウスでした。
◆ 地元の如布神社にはあまり早く着いても集まる人が少ないということもあり、午後6時頃に着くよう福知山市内で時間調整。班長は携帯電話で区長宅へ連絡をいれ、午後6時過ぎに神社に到着する旨の連絡を入れ、如布地域の全戸へ有線放送で知らせる手はずとなりました。午後6時チョット過ぎ、無事にマイクロバスは神社前に到着し、50名前後の人たちが出迎えに来てくれていました。班長が一連の代参日程を報告し、お札を渡し、お神酒で乾杯して散会となりました。
但東に暮らして、生きた歴史を感ずることが結構あります。伝統という名だけではなく、その歴史的背景を知ると、地方で暮らすことの楽しさに気付かされます。田舎暮らしがブームになっていますが、ブームだけではなく、本当に田舎暮らしを楽しむ発想が大事だと思います。
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