まつろわぬ人々 
 vol.103
 2005/7/2

 東北の三大祭り、五大祭りもこれからの季節です。暑い夏を迎え、一気に華開く東北の夏祭りは中央に対する抵抗の歴史なのだという人がおります。
 「まつろわぬ」という言葉があります。「服従しない」という意味ですが、今ではほとんど死語に近いものです。1200年以上前の奈良、平安時代。朝廷から「まつろわぬ民」と呼ばれる先住民が各地にいました。かつての東北地方はまつろわぬ人々が住む地として蝦夷と呼ばれてきました。私たち東北の人間からみたらまつろわぬのではなく、東北固有の文化を破壊しようとする異文化への抵抗の歴史でもあったように考えています。何故に都から遠いという地理的な制約から常に辺境の地とされなければならない理不尽な扱い方に疑問を持つのは当たり前のことです。
 いつしか青森から兵庫に生活の場を移しながらも、体は兵庫に置きながらも意識は未だにまつろわぬ人々の子孫として生きています。これからもずっと「まつろわぬ人間」として生きていくのかも知れません。
 
 ところで蝦夷(エミシ)とはどんな人だったのだろうか。簡単に言ってしまえば古代東北の歴史は「まつろわぬ」先住民族が次第に中央政府によって支配・征服され、組み込まれていった歴史です。
 中央の律令国家が積極的な東北進出をはかったのは8世紀から9世紀頃です。この時代は大量の移民や軍事・政治的な城柵が東北各地に造られ、エミシとの摩擦、戦乱も多かった時期です。エミシは千人力の野蛮な土人として歴史書に描かれており、「まつろわぬ人」として征伐の対象とされました。
 話が脱線しますが「夷を持って夷を制す」の構造は、アフリカやアフガニスタン、そして中東の歴史にも当てはめることができます。政治的思惑で一方、あるいは双方を影で支援するやり方は植民地時代から冷戦時代を経て(少しずつ学んでいる兆候が見られるものの)大筋では変わってません。扇動される方にも責任はありますが、死ぬのはいつも地元民であり、第三者が漁父の利を狙うという点にも類似性があります。