生きる力 
 vol.96  2002/8/30

  「生きる力」とは何でしょう?願いを全てかなえてあげることが、生きる力につながるのでしょうか?子どもの自主性を尊重するのはいいことですが、多大な手助けを必要とするものが生きる力につながるとは思えません。ここ半年間の姿を見ていると、子どもたちが思いついたことを教師や父母が代行しているだけのように見えます。
 中教審第一次答申のなかで、「生きる力」とは次のようにまとめていました。
1.自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力。
2.自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力。
 よく分からない言葉を羅列していますが、生きる力とは、今現在、自分が置かれている環境の中で、何ができ・何ができないかを明らかにし、さらに行動に移す力だと考えるのですが・・・。自分の願いと今自分が持っている力を見比べ、身の丈にあったものをもち、それに向かって活動をしていく。これこそが自分を自分で育てていく元になるのではないでしょうか。つまり、自分の思いと現実との折り合いをつけて、前に進んでいくこと。与えられた条件の中でベストを尽くすことが生きる力につながるのだと考えるのですが、おかしいでしょうか。

  これからの社会は、変化の激しい、先行き不透明な、厳しい時代になるでしょう。そのような社会では、子供たちに[生きる力]をはぐくむことが必要だと強調されています。完全週5日制を含め、学習内容の削減などの「ゆとり」は、「生きる力」を育てるものと考えられています。しかし、「ゆとり=生きる力」という単純な論理にはまったく根拠がありません。生きる力を育てるには生きる力を育てる教育をするべきだと思っています。完全週5日制が今春から実施され、一番喜んでいるのはゲームメーカーだと聞くことがあります。冗談と済ますには、あまりにも現実的に的を得ているようにも思え、笑えない冗談です。今の子どもたちの生活を考えると、本当にそうなってしまうかもしれないと危惧してしまいます。
 知識を覚えるだけでも大変ですが,自分で使いこなせるように覚え使いこなすことの意味までわかっている、ということが「見えにくい学力」に支えられた「見える学力」の形成だと思います。それでは「見える学力」は何かというと、知識・理解・技能などであり、「見えにくい学力」とは、関心・意欲・態度・思考力・表現力・判断力などではないかと思います。
 かつては地域の見えない力が「生きる力」を育ててきたのだと思います。それが失われた今、学校で見える形で「生きる力」を育てる必要がでてきたのではないかと思います。たとえば、会話を教える授業や遊びを教える授業があってもいいのではないでしょうか。ただ、現実問題となると大変な学習活動を展開しなければならない。

 「生きる力」という言葉が乱れ飛んでいる割りに、生きる力って簡単に言葉に置き換えられるものなのでしょうか。「生きる力」のない人たちが教育現場には数多くおり、これから「生きる力」を身に付けていく子どもたちに何を伝えていくというのでしょうか。教育に携わる人たちが小粒に見えてしょうがありません。どんどん小粒になり、小さな豆となって見えにくくさえなっている現実があります。辛口かも知れませんが、教師への応援歌として聞いてほしいと思います。
 昼過ぎ、突然、豊岡病院から電話がありました。私自身もいよいよ今日30日から治療のために入院します。これまでにも入退院を繰り返し、家族や職場には迷惑をかけ続けています。この世に生を受けた瞬間から、人並みに生きたいと思うのは当たり前のことであり、それを許す環境が今の日本には本当にあるのでしょうか。弱者にはまだまだ厳しい環境であることを思い知らされることもしばしばです。だからといって、こんな体で何ができるのでしょうか。望んで病気になったわけではありませんが、たまたま病気になったことが運の悪いことなのでしょうか。
 たまたま日本で生まれ、たまたま健康の体を保持し、たまたま家族全員が幸せに暮らしている。でも、こんなことは極めて稀なことであり、それこそ宝くじに当たるようなものです。自分たちが暮らしている廻りを見回した場合に、同じ条件の人たちがどれだけいるのでしょうか。これを世界に当てはめて考えた場合、のほほんと暮らしている日本人の姿があり、世界から極めて異質な文化を構築している現代日本の姿がクローズアップされます。
 こんなことを書きながら、病気によって人生も日常生活も大きく変わりました。しかし、様々な体験を経験することによって人生の勉強になり、それまで見えなかった自分を発見することができました。この病気を通して、以前の自分と比較して少しは成長できてきた気がします。これから先、自分の状態や症状がどのように変化していくのかは私自身には分かりません。でも、どんな困難が待ち受けていたとしても、まったく不安を感じません。病気だからといって逃げたり、あきらめたりすることだけはしたくありません。病気の体でも様々なことにチャレンジできることも分かりましたし、笑顔で過ごすことの大切さも知りました。明日はきっといいことが待っている気がしています。

 かつて、モンゴルの牧民家族からこんな話をされたことがあります。お金やものの量や価値だけを追求してきた貴方たちの国に、どんな子どもたちが育っているのですか。貴方たちが貧しいと考えているモンゴルやアジアの人たちは、けしてお金やものには代えられない素敵な宝物を持っています。未来の希望を失い、家に引きこもり、30歳を過ぎても親のスネをかじり、素敵な異性がいないといっては結婚しない(できない)人たちで溢れた貴方たちの国に、本当の「生きる力」はあるのでしょうか。どこまでもおかしな国は、いったいどこに向っているのでしょうか。果てしなくひろがる秋空のみが知ることなのでしょうか。