山南狭宮薪能 
 vol.89  2002/5/20
 狭宮神社は延喜式内社として知られ、中世から近世においては鶴牧藩日記などにも登場する猿楽が演じられた場所です。この起源に関しては室町時代末期ないし安土桃山時代との説がありますが、はっきりしません。ただし、400年以上も前から狭宮能があったことは興味深い事実です。狭宮能は、丹波猿楽の一派である八子太夫によって代々演じられており、猿楽の妙手として当時から広く知られていました。江戸時代末期には能も衰退してしまいましたが、今回、約150年ぶりに復活したもので、地域上げての取組みだったようです。
 八子太夫の先祖である畑福蔵の子重大夫が、弱冠8歳で、当時の岩尾城主佐野下総守の上覧時、その能があまりにもあでやかだったことから、「八子太夫」という称号を与えられたようです。その後、狭宮神社の神能勤仕を命じられ、神社の近くに屋敷を賜り、佐野城主に続いて鶴牧城主へと代々世襲しています。藩日記によると、狭宮神社は藩主の直願社であり、厄除祈願や雨乞いのときに能が奉納され、祭礼には八子太夫の面掛神事が行われていたとも記されています。宝物として、元禄6年(1693)に野添氏宗代官が寄進した小尉面が大事に残されています。

 狂言『仏師」
 お堂を建てたものの、仏像がないので田舎者は都の京へ仏師を探しに行きます。往来を大きな声で探し歩いていると、詐欺師が正統派の仏師だと名乗って近づいて来るのです。詐欺師は田舎者をだまし、翌日会う約束をします。詐欺師は自分で仏面をかぶって仏像になりすましますが、田舎者は仏像の印相が悪いと注文を出します。そのたびに面をとって仏師になりすまして対応するのですが、ついには見破られてしまうという喜劇ストーリーです。

 能「土蜘蛛」
 病に伏せていた源頼光のところへ、胡蝶という女性がやって来ます。薬を持参し、必ず直るので気を強く持つよう話して消えていきます。そこへ、怪しい僧侶が現れ、「我が背子が来べき宵なりささがにの、蜘蛛のふるまいかねてしるとも」と古い歌を詠みながら、源頼光へ蜘蛛の巣を投げかけます。頼光は刀を抜いて切りつけると、僧侶は消えていきます。武者が辺りを見回すと血の跡が点々と続いています。この跡をたどっていけば、妖怪を倒せると思い、血の跡をたどると、古い塚に着きます。塚を壊すと恐ろしい土蜘蛛が現れて、千筋の糸を投げかけては襲い掛かります。しかし、武者たちはよく戦い、ついには土蜘蛛を切り伏せるというストーリーです。

 狂言「仏師」を演じたのは、詐欺師のすっぱ役が茂山千三郎氏、田舎者は茂山逸平氏です。最近の狂言ブームでも有名な役者です。能「土蜘蛛」は源頼光は杉浦豊彦氏、胡蝶は大江信行氏。この胡蝶は女性のはずですが、大柄な大江氏が演じており、少々無理があるかも・・・。土蜘蛛を演じた上田拓司氏は先月、家族で博物館に遊びに来ていただき、町内にある農村歌舞伎舞台についても説明。上田氏にも興味を持っていただき、文化財の保存だけではなく、舞台の活用方法についても指導していただきたいと考えています。
 午後6時から始まり、終演は午後8時。徐々に日が落ち、気がついたら頭の上には見事な大きな月。昨夜から今朝にかけてのどしゃ降り、さすがに雨乞いで有名な「狭宮の神さん」です。狭い境内ですが、立ち見も入れて約700人もの観客は、幽玄の世界にすっかり魅了されてしまいました。但東の農村歌舞伎舞台も何かの形で再興できたらと「狭宮の神さん」に願うばかりです。