ジャンチブさん親子 
 vol.86  2002/4/23 


 モンゴル人のジャンチブさん親子が山形県から但東まで遊びに来てくれました。私費留学で山形大学に入り、その後、東北大学の大学院で学んでいます。今月末にモンゴルへ帰国することになり、その前にモンゴル博物館を家族に見せたいということで来てくれました。山形から日本海を経由し、一端は大阪の友人に会い、一泊目は車中泊で仮眠2時間という強行軍の末、たどり着いた但東でした。彼を知れば知るほど、努力の人という印象を強く受けます。優しい笑顔と物腰の柔らかい口調からは信じられないほどの強い意志です。留学前は中学校の先生をしていたそうですが、モンゴルの教育のあり方に疑問を持った彼は、日本の教育のいいところを採用した学校教育を経営したいとやってきました。既に子どもたちも女の子ばかり4人おり、未知への挑戦には勇気と高い志があったと思います。

 初めて訪れた日本。そして初めて暮らした場所が山形市内。「おしん」のふるさとということは知っていたようですが、「おしん」とは違う生活に驚いたそうです。まだまだ立派に使えるものが、平気で捨てられ、子どもも大人も物に溢れた生活をしています。物の量だけを比べたら、豊かな大国に見えますが、どこかおかしな日本。そんな暮らしに疑問を持ちながら、生活をするため朝から夜中までのアルバイト。時間さえあれば、倒れるまで働いた山形時代。夜は夜で遅くまでスナックでアルバイトをし、大学に通い、モンゴルに理想の学校を建設する夢を描き続けていました。
 山形での生活も徐々に慣れ、モンゴルを紹介するイベントを家族6人で始めました。日本人がよく知っている「スーホの白い馬」の人形劇がきっかけだったそうです。そのうちにどんどん周囲を巻き込みながら、小さなイベントの輪は広がり、まさしく草の根交流が確実に実を結んでいきました。初めはダンボール箱で作った手作りの人形が、国際交流の第一歩となりました。ささやかな活動に共鳴してくれた人たちが人を呼び、そして柱一本の会へと動き出したのです。柱一本の会というのは、彼の夢に賛同した人たちが、大きな学校はプレゼントできなくても、せめて学校を建てる柱一本でも協力しようという趣旨で生まれたものです。

 両親の背中を見て大きくなった娘さんたちを見ていると、一番大切なことをきちんと理解していることが伝わってきます。働きすぎて倒れた父、家計を支える奥さん、日本の学校で頑張る子どもたちの姿。そして、一人一人が家族という強い絆で結ばれた姿。長女は東北大学の法学部に昨年入ったそうです。日本での生活が長くなって、一番下の娘さんは日本語よりもモンゴル語が難しいと困っていました。ジャンチブさんは昨年開校した「新モンゴル高校」の校長として東奔西走の毎日です。7月には一時、山形に戻るような話をしていました。日本人が自分たちのモンゴル文化を紹介していることを娘さんに知ってほしいと、わざわざ但東まで来てくれました。もっとゆっくり話をしたかったのですが、帰国直前の多忙な時間ということもあり、ジャンチブさん一家の活躍と再開を約束して別れました。
 最近の子どもたちは親のようにはなりたくないと思っている子が約6割、自分は子どもの生き方のモデルになっていないと感じる親も6割。自分の生き方に自信を持てない親子の様子がよく理解できます。つまらなそうな毎日を送る親から、人生のすばらしさは伝わりません。子どもたちの成長をそっと見守る親を理想とすることもいいでしょうが、親が生きることの楽しさを具体的に示さない限り、子どもたちには伝わることはないでしょう。また、親の背中は大人たちには見えませんが、見るための鏡だったら、まず子どもたちを見たら分かるでしょう。子どもたちは大人自身を磨かせるためにある鏡と考えていくと「子育て」は「自分育て」につながります。ジャンチブさん一家、本当に素敵なうらやましい親子です。