来年コソ丈夫ナ体ヲモチタイ 
 vol.80  2001/12/14

 今日は赤穂浪士の討ち入りの日ですが、昨夜来からの寒波で今日は但東でも初雪を記録しました。浅野内匠頭が刃傷事件を起こしてちょうど300年だそうです。そして来年は討ち入り300年ということで、忠臣蔵ゆかりの市町村ではイベントが数多く企画されているようです。赤穂市では98回赤穂義士祭が開催され、本懐を遂げた義士たちが主君の眠る泉岳寺へと引き揚げる義士行列には75千人の見物客が詰めかけ元禄絵巻を堪能した様子がニュースで流れていました。大石内蔵助の妻りくの生誕地である豊岡市でも赤穂義士の追悼法要が営まれていました。
 モンゴル博物館の近くにある蔵雲寺には赤穂義士に関する千体仏が安置されています。大石りくの祖父である豊岡藩家老石束源五兵衛毎術が隠居して仏像三千体をつくり、菩提寺である日撫の正福寺に寄進したと伝えられているものです。この石束源五兵衛毎術の孫娘「りく」は赤穂藩の家老大石内蔵之助良雄の妻となり、離縁し豊岡に戻った後はこの祖父の寄進した三千体仏に朝夕給仕し、良雄・主税の本懐をとげん事を祈願したといわれています。正福寺はその後荒廃し、三千体は各地に分祀されることになりますが、その中の千数体は、但東町赤花の出石藩大庄屋橋本八兵衛家の菩提所「三対庵」に安置されることになりました。その後、蔵雲寺に移されて今日に至っています。他のニ千体は離散紛失し、完全に保存されているのは蔵雲寺の千体仏のみです。
 
 師走も押し迫った今日14日、検査のため入院しました。先月から週1回のペースで検査をしていましたが、調子の悪い箇所が新たに見つかりました。来週は金曜まで毎日が検査ですし、遅くともクリスマスまでには家に帰りたいと思います。悪い箇所があったとしても、できれば年明け以降から治療に専念できたらと思うのですが・・・。現在三つの病気を抱えながらの生活は不自由さがどうしても伴ってしまいます。辛くないと言えば嘘になりますが、治療を続けられながらも仕事ができることには感謝しております。家族や職場の理解があるから可能なことです。だからこそ「生きる」ことに貪欲になれるのかも知れません。いつか人並みの健康な体を持ちたいと願っています。
 病室にはノートパソコンを持参し、ホームページを更新したり、他所から依頼された原稿を書いています。昨年も入院し、目が覚めたらまたまた病院のベットにいました。検査入院とはいえ、これで6回目の入院です。よくよく病気と縁があるのでしょう。病気になって、生きていることへの素朴な喜びを感じられるようになりました。そして、家族の絆や友人、そして職場の有り難さも知った思いです。先日も体調の悪いことを知った内モンゴル出身の方から、この病気に効くという漢方薬をわざわざ取り寄せていただいたり、言葉では言い尽くせないことが沢山あります。その分、早く体調を回復できるよう努めたいと思います。病室から見える町並みもうっすらと雪化粧し、本格的な但馬の冬本番を感じさせています。

 「雨ニモマケズ」、この詩ほど宮沢賢治の詩の中で知られたものはありません。この詩は賢治が愛用したトランクから発見された手帳に書かれていたもので、ついに再起できなかった病床で綴ったものと言われています。当時の賢治は東北砕石工場花巻出張所に勤めており、石灰販売に奔走していた時期です。昭和6年9月、石灰販売の宣伝のために上京しましたが、発熱がひどく花巻に帰宅しています。そして、そのまま病床に伏してしまいます。この年の10月から11月頃に病床で手帳に書かれたのがこの作品だそうです。詩にもあるように「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチタイ」と強く思う年の瀬です。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト 少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ