マクドナルド化していく日本文化 ◆
 vol.72  2001/8/5

 しばらく前に日本文化は「ファーストフード化」、または「マクドナルド(マック)化」しているという指摘がありました。これは単純に「食べ物文化」を言っているのではなく、マニュアルに牛耳られている社会現象だということなのです。こうした動きを「マクドナルド化」と表現したのはアメリカの社会学者であるメリーランド大のジョージ・リッツアです。日本はこのマクドナルド化を簡単に受け入れやすい国だとも言っています。これまでにもパック旅行、回転寿司、カプセルホテル、ファミリーレストラン、100円ショップ、マクドナルドやケンタッキーなどのファーストフード等、マニュアルがあれば簡単にできる新商売が次から次に生まれてきました。マクドナルドでは従業員の95%を占めるパートの新人や学生アルバイトでも、オペレーション・マニュアルがあるからこそ即戦力として消費者の期待を裏切らない味と品質を保証してくれるのです。熟練したシェフに敵わないとしても、安価でしかも品質も悪くない商品を提供できるのですから、注目を浴びるのは当たり前でしょう。こういうシステムが、何かの形で判断のよりどころを探していた現代日本人にとって、マニュアルは簡単に受け入れやすいものなのだったと思います。だからこそマニュアルの作り手は管理経営と管理教育のプロでもあり、現代ではマクドナルドの社員が新任校長の前で学校経営を講義する世の中なのです。

 例えば就職マニュアルでは、金融機関専門、公務員用、そして面接対策マニュアルまで登場し、就職する方も、面接する方もマニュアル本を片手に臨んでいる姿はいかにも滑稽です。田舎暮らしマニュアル、・・・マニュアルというように、いまの日本からマニュアルというものが完全になくなったら、どんな日本なのでしょうか。
 老舗旅館と呼ばれるところでさえ、人をもてなすハウツー・マニュアルがあります。旅館に宿泊した際、何気なく枕もとに「一日お疲れ様でした。ごゆっくりお休みなさい」といったようなメッセージがさりげなく置かれていると、自分のことを思ってしてくれたことだと感激してしまいます。朝、帰るときにも従業員の人たちが全員で見送ってくれて、そして見えなくなるまでいつまでも手を振ってくれている姿にまた感動してしまう。しかし、これらの一連の行動が、すべてマニュアル通りだと知ったら、このお客さんは二度とここを訪れてはくれないでしょう。「家族的な、田舎のおもてなしがうちの魅力です」とうたっておきながら、実はコンサルが作成した「もてなしマニュアル」だということは往々にして存在しています。
 スピルバーグが作った映画の「A・I」は人工知能を持った少年が人間になりたいという物語ですが、考えようによってはこれもマニュアル化された究極の未来なのかもしれません。ロボットが相手の身になって、して欲しいことを考え、快適ということをさらに考えていき、そして行動に移していくという、一つの「もてなしの基本マニュアル」でもあるからです。

 マニュアル化、ファーストフード化、またはマクドナルド化というものは、今や官も民も学校もどこでも言えることです。逆にこれからの時代は「脱マニュアル人間」待望論が主流になると思います。要するにマニュアル人間というのは、指示待ち人間ということかも知れません。指示を出さないといつまでたっても自分からは何もしない。だからといってやる気がないかといえばそうではなく、何かを頼めば素直にそつなく仕事をしてしまうのです。仕事はまあまあやるけど、一緒に仕事をしていても何故かつまらない。マニュアル化がどんどん進んでしまうと、思考が停止してしまうんじゃないかとさえ思えてきます。個々に創意ある仕事を任せることによって、脱マニュアル化を始めなければならないでしょう。
 自分の行動をパターン化させたい国民と、マニュアルを売るビジネスが相乗効果を生んで、社会の隅々まで浸透してしまったのでしょうか。そして、ジョージ・リッツアは世界中どこでも同化してしまうグローバル化は、人間の生活文化をマニュアル化し人間存在そのものを機械化してしまうと危惧しています。文化の簡易化、単純化、画一化は、グローバルなる言葉に置き換えられて世界に広がってきた文化現象だと思います。コカコーラ、ディズニー、マクドナルドなどアメリカを発信源として、世界各地のローカル文化をも触発して溶け込んでしまいました。だからこそ、地域文化の中に個性的な魅力を発見していく作業が必要なのです。社会というものは多様な文化があって、個性的な人たちがいるからこそさらに魅力が増すものだと信じています。
 先ほどまで博物館の5周年イベントに関して調整をしていました。その中で、自分もいつまでここで頑張れるのか分からないことですし、5周年を機に博物館運営マニュアルを作成しておかなければとずっと考えていました。しかし、そんなことを考えれば考えるほどに空しくなってしまうのです。博物館も運営する人間によって変化していったほうが、見に来る人たちにとっても変化があり楽しくもなるだろうと思うのです。そう言いながら、空しいマニュアル作りに精を出している自分が滑稽です。