◆ 京都府加悦町教育委員会が発掘してきた日吉ケ丘遺跡から弥生時代中期の国内最大級の墳丘墓を確認したと発表がありました。5月26日に説明会が開催され、隣町ということもあり職員と出かけてきました。新聞報道でも大きく取り上げられたので、ご存じの方も多いでしょう。遺跡はよく買物に出かけるスーパーの国道向かいに位置しており、隣接地には国指定史跡の蛭子山古墳群・作山古墳群があり、古代丹後王国とも呼ばれている中心地です。
墳丘墓は最長33m、幅17〜22m、高さ2.5mの方形貼石墓で、木棺跡1基が確認されています。側面には50〜30c大の石が約1000枚貼られていたそうです。ほぼ中央の埋葬施設は木棺直葬で、縦1.8m、横70cm前後。木棺の大きさから被葬者は身長165cm前後と推定されています。一人だけが葬られた墓としては類例のない大きさで、被葬者の財力の高さを示す管玉460個以上が惜しげもなくまかれていました。この「王」の頭部付近には約40cm四方の水銀朱の固まりがみられ、その上に碧玉製の管玉が散らばっていました。頭飾りなどの装飾品か、朱とともにまいて死者を送った葬送儀礼の跡とみられています。管玉は長さが3mm〜12mmで、直径が2mmという極小サイズで、量・技術ともに精密なもので関係者も驚いていました。また、米粒40粒が上半身を中心にばらまかれており、埋葬の儀式に使われたものとみられています。
◆ 中国の史書「漢書地理誌」は、この時期の日本列島を「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国を為す」と記されています。同時代の大型墳墓としては、吉野ケ里遺跡墳丘墓と朝日遺跡方形周溝墓に次ぐ規模で、貼石墓では最大。加悦町教育委員会では「この時代に、すでに強大な権力を持つ王が丹後地方にいた証」と話していました。弥生時代後期後半の岩滝町にある大風呂南墳墓、峰山町の赤坂今井墳墓、古墳時代前期後半の蛭子山古墳などの大型墳墓や古墳に代表される古代丹後王国の首長権力の出現が、弥生時代中期後半までさかのぼり、約500年間の長期にわたる繁栄が見えてきました。日吉ケ丘遺跡は古代丹後王国の謎を紐解く鍵が秘められているともいえます。現地説明会には岡山・鳥取・大阪・滋賀というように近隣府県からも多くの考古ファンがつめかけてきました。説明会の準備には教育委員会や町当局が総出でしていたにもかかわらず、説明会が済むと引き潮のようにサァーと人が引いてしまう早さには驚いてしまいました。ついでに何処かへ行くわけでもなく、せっかく遠いところを駈けつけてくれたのなら、もっと近隣の遺跡見学や博物館にも足を伸ばしてほしいものだと感じました。それにしても日本人は遺跡が好きな国民ですね。
◆ この日吉ケ丘遺跡はモンゴル博物館から車で20分程度の場所にあり、隣町でありながら本町との関係は一切分かっていません。弥生時代から古墳時代にかけては空白期の但東であり、古墳時代後期になって群集墳が急激に増加する傾向があることが分かっている程度です。本町は丹後と但馬の境界にあたることから、古代から交通の要衝の地であったと考えられています。これまで大きな開発のなかった本町において、考古学的に空白地帯だとも言われており、不明な点が多くあります。近隣地域でこのような遺跡が発見されるたびに、本町も歴史的に何らかの関係があるのではないかと考えていますが、所詮は考えるだけで具体的な資料には恵まれていません。 |