豊かさの本質と体験的国際支援のススメ 
 vol.141  2005/6/7

 モンゴル博物館には遊牧民の家ゲルが展示してあります。内部には生活に必要なものを置き、暮らしを忠実に再現しています。見学者の多くから、「これが遊牧民の家なの」 「トイレはどこ」 「テレビやパソコンは無いの」 等々、矢継ぎ早に質問が飛んできます。そして、必ずや最後に「豊かな日本人に生まれて本当に良かった」という返事が返ってくるのです。でも、この豊かな日本では年間3万2千人を超える人たちが自殺しており、大きな社会的関心事となっています。世界全体の自殺者数は推計で年間約100万人に達し、殺人や戦争の死者の総計を上回ると指摘されています。日本の自殺者数はイギリスの3倍以上、アメリカの倍以上で主要先進国の中で群を抜いています。この自殺の背後にあるものは何でしょうか?長期不況だけでは説明できません。十分な豊かさを手に入れていないということなのでしょうか、それとも豊かさが実感できる生き方ができない社会環境のせいなのでしょうか。国によって自殺の内容に違いはありますが、「豊かな国」を標榜している日本の現状は明らかに異常です。

 外国から眺めるわが日本は、モノとカネに溢れる世界一の金持ちです。これまで日本が豊かさを享受できたのは、それまでにも増して経済の国際化、すなわちモノやカネが国境を越えての往来が盛んになったからです。一方では、環境破壊、自殺、過労死、老後の不安など深刻な現象にこと欠きません。国民にはゆとりも豊かさの実感もありません。日本は豊かさへの道を踏みまちがえた、と考える人たちも多くおります。今こそ日本人の生活のあり方を点検し、真に豊かな社会への道をさぐる必要を感じるのです。
 片や同じ地球上で、食べることにも困っている子どもたちが大勢います。貧困社会に生まれた子どもたちは、将来への夢や希望もなく労働や兵役に駆り立てられストリートチルドレンとして捨て置かれています。こうした過酷な状況の中で多くの子どもたちは飢餓や病気などの危険にさらされます。貧しい人たちにとって日本では当たり前な清潔な水を手に入れることはほとんど不可能です。まして病原菌や寄生虫に汚染された水に対して、子どもたちの体は特に無力です。このような子どもたちは何をすればいいのか考え解決する術を持ち合わせていません。
 貧困に苦しむ子どもたちへの支援は、単にモノを提供したり、カネや学費支援をするということだけで問題は解決しません。まず、子どもたちが健康に育つことが必要であり、栄養のある食物や予防接種、子どもを育てる両親の経済向上が不可欠です。そのためには安全な水の確保、農業など基盤となっている産業の確立といった地域レベルの問題解決が必要となります。子どもたちを取り巻く環境の改善がなければ子どもの幸せを望むことはできません。国際社会の支援なしには自立への道を歩むことができない地域や国がまだまだ多くあることを知ってほしいものです

 もともと異なった文化の間には優劣はないはずで、こういう考え方を文化相対主義と呼びます。発展途上の国がまだ産業化していないという理由だけで、その国や国民を軽蔑してはなりません。まさしく傲慢というものです。しかし私たちは、こうした傲慢の罪にしばしば陥ることがあります。異文化を理解する意義は、一つには自分たちにないものをその中に発見し、自文化を見直す機会としてあることです。自分たちが生きる意味も、異文化と出会い、自文化を捉え直す作業の中で見出されるのではないかと思います。これまでの豊かさと、これからの豊かさについて考える機会になるものと思います。