企画展「北の工芸・・・アイヌ木彫りの世界・・・・熊のいる風景」 
 vol.139  2005/3/28

 つい最近まで北海道の観光土産で売られている熊の木彫りはアイヌが源流だとばかり思っていました。木彫りの熊は北海道を代表する郷土玩具で、札幌をはじめ函館・小樽・旭川・網走など、道内のどこの都市や観光地でも見かけます。それぞれの土地により、彫り方が少しずつ違っています。そのポーズや表情にもほほえましい姿や荒々しいものなどといろいろの形があります。たまたま北海道出張の際に記念と思い、大きなアイヌ人形を買って帰りました。また、かなりの確率でどこの家にも玄関に鮭をくわえた熊の木彫りがあります。熊以外にもアイヌの木彫りと言えば、網走刑務所で作られているニポポ人形、動物や鳥などをモチーフにした小物や美しいアクセサリー、アイヌの楽器ムックリなどのさまざまな商品があります。アイヌコタンのにぎやかで楽しい店での買物は観光客に大変よろこばれています。阿寒湖のアイヌコタンには30軒ほどの個性的な民芸品店があり、それぞれの店で工芸家による独創的な作品が作られています。

 この熊の始まりは、大正時代からなのです。東京で生物学研究所を開いていた、徳川義親が、北海道八雲町で徳川農場を経営していましたが、熊の生態研究のためアイヌの案内で、よく熊狩りに出かけていました。大正10年〜11年に徳川義親はヨーロッパの農民生活を視察、スイスから木彫りの熊を買って帰国。そして、彼は八雲の農民達を集めて熊の木彫りをすすめました。大正13年3月、徳川農場主催で「第1回農村美術工芸品評会」が八雲小学校で開かれ、このとき酪農家の伊藤政雄が出品した熊彫りが、北海道の熊彫りの第1号といわれています。毎年、講習会や研究会が開かれ、昭和2年に「北海道奥羽六県連合副業共進会」(秋田県主催)で、この伊藤さんの熊彫りが1位となり、この頃から「北海道の熊彫り」が全国に知られるようになりました。一般に売られるようになったのはそれから2、3年後でした。昭和の初めには旭川市の近文でも、アイヌの熊狩りの名手と言われた松井梅太郎が熊の彫刻を始め、アイヌ彫りの伝統を生かして次々と新しい熊彫りを創作しました。 昭和40年代に北海道への観光ブームが起こり、観光客が北海道に押し寄せ、 その時に北海道土産として有名になったのが広まった理由みたいです。ある紹介冊子で木彫りの熊は、アイヌの熊送りの祭りの儀式(イオマンテ)で着用するブドウ蔓で編んだ冠に、熊の頭をかたどった彫り物を付けたのが、元々の由来とされるアイヌの伝統工芸品などと説明しているものも見られますが、実はこれが大嘘だったのです。因みに「鮭なし熊」が八雲発祥で、「鮭つき熊」がアイヌ発祥だといわれています。

 アイヌとは、「人間」を意味します。アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」をカムイ(神)とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行ってきました。それらの神々には、火や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネ、シマフクロウ、シャチといった動物神、トリカブト、キノコ、ヨモギといった植物神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神などがあります。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と呼ぶのだそうです。(「アイヌ民族博物館HP」より)
 今回の企画展ではアイヌと熊の関係を中心に捉え、彼らの精神文化に迫ることによって熊との共生を考える手がかりを探ろうとするものです。昨年、但馬地方は熊の出没件数も例年になく多く、里山で人と遭遇することもしばしばでした。人家に上がりこんで、そのまま寝込んでしまった熊さえいました。熊の出没件数と熊の生態を知っていることとは直接つながりません。むしろ、多くの人たちは熊の生態も知らずに熊と向き合った生活をしてきたように思います。