閉館相次ぐ美術館・博物館施設 
 vol.127  2003/9/25

 文化装置としての役割を担ってきた美術館や博物館にも、不況の荒波が容赦なく襲いかかっており、まさに危機的な状況を呈しています。
 あの出光氏の膨大なコレクションを抱える出光興産が、創業時から保有してきた美術品を海外のオークションで売却。購入時に320億円の価値があったコレクションの売価は145億円。経費削減のため様々な増収策を図ってきた結果の所蔵品整理です。
 古美術の名品を持つ大阪・心斎橋の萬野美術館も、オークションを通じて鎌倉時代の陶磁器など所蔵品の一部を売却し、百十余点が7億数千万円で落札されています。西日本銀行と経営統合する福岡シティ銀行の四島司頭取は現代美術の世界的コレクターとして知られていますが、かつては「四島美術館をつくりたい」と話していました。しかし99年に10作品を約50億円で米サンフランシスコ近代美術館に売却し、以降も継続的に手放しています。

79年9月の開館以来、伊勢丹美術館は22年間に300本近い国内外の展覧会を開催し、多くの人たちに親しまれていました。 しかし、昨今の日本の美術館の状況は、大型美術館の大型展示や特定のテーマに絞った小型の美術館等の集客が高まる反面、中小の多目的美術館は苦戦を強いられるところが増加しているのが実情です。 伊勢丹美術館についても、82年をピークに入場者数は減少傾向を続けています。結局、02年3月5日、伊勢丹美術館は閉館してしまいました。

四半世紀にわたって多くの美術ファンから愛されてきた岩手県盛岡市の盛岡橋本美術館も閉館しました。最終日は約1100人が来館し、故橋本八百二氏(紫波町出身)の個性が発揮されたユニークな美術館に別れを告げています。 最終日は午前10時の開館と同時に周辺駐車場がすぐ満杯となり、客足は終日途絶えることがありませんでした。最後のにぎわいの一方で、自動販売機の撤去作業など閉館準備も並行して行われ、寂しさを募らせた。 来館者はバルビゾン派を中心とする絵画、古陶磁、工芸美術、彫刻、民芸など充実したコレクションにあらためて感嘆。同美術館は八百二氏が1975年に私設。77年に財団法人化され、博物館法に基づく県内初の登録美術館となりました。累計入館者数は約130万人。 閉館後、財団は清算手続きを進め、財団所有作品89点および寄託品約1000点については、散逸を防ぐため公共団体に一括寄贈したい考えのようです。

同じ岩手県岩手町の考古学者の高橋昭治さんは、自宅隣の資料館「北進考古学資料室」を閉館。歴史的遺物を展示する公的施設が各地にでき「私設資料館の役割を終えた」と38年の歴史に幕を引きました。縄文、弥生時代を中心とする数万点に及ぶ展示品は、岩手県立博物館をはじめ近隣町村に寄贈するという話です。 高橋さんは印刷業の傍ら、開田や開墾で各地の遺跡が破壊される現状を憂い54年、土器、石器の表面採集を始めた。岩手大の草間俊一教授(当時)に師事し、古代北東北の歴史の空白を埋めるとされる後北式文化などの研究に取り組んだ。同資料館は64年、県内初の考古学資料館として開館。縄文、弥生式土器、旧石器、土偶など北上川上流域から出土した遺物を常設展示。学生らに学習の場として提供したほか、自らも町内外で郷土史講座の講師を務めるなど活躍してきました。今回、県立博物館には、岩手町内からの出土品を中心に寄贈。このほか、資料ごとに記録を付し、出土した各町村に贈るそうです。中には、岩手町の豊岡遺跡から出土した縄文晩期土偶、装身具類も含まれ、県立博物館の目玉にもなりそうです。悩み抜いた末、長年の研究の成果である資料館閉館を決意したそうです。

新潟県寺泊町にある相澤美術館も閉館しました。理由は館長が高齢で運営を続けていくことが困難だからです。相澤美術館は、館長である相沢直人氏の個人コレクションを公開する私立の美術館です。こぢんまりとしていますが海を見下ろす高台にあるおしゃれな外観のみならず、難波田史男など一流の美術作品を多数展示する質の高い美術館で知られていました。館長の建康というやむを得ざる理由によるとはいえ、閉館に至ったことは実に惜しまれます。館長はコレクションを町が管理し一般への公開が再開されることを望んでいるそうです。ただ昨今の不景気から地方自治体はどこも財政事情が厳しく、寺泊町とて決して例外ではありません。町が美術館を引き受けるかどうか、一抹の不安は残ります。安易に引き受ければ、財政を圧迫する要因となりますし、、そうなれば美術館にとってもっと悲劇的な閉幕を迎えないとも限りません。町当局及び関係者の方々には、ぜひとも充分に検討し、相澤美術館を復活させるのに最もふさわしい方向を模索していただきたいと願うばかりです。
 芸術・文化の秋にとって、厳しい話ばかりで誠に残念です。