博物館の通信簿 
 vol.125  2003/9/10

 近年、「博物館評価」に対する関心の高さがうかがえます。評価の問題がクローズアップされると、すぐに「評価」は切り捨てのための材料になると考える人たちも現実に多いようです。評価というと成績表や考課表などが思い浮び、否定的なイメージがつきまとうが、しかし本来、評価というものは、目標が設定されたプログラムの一部であり、それ自体が目的ではありません。今の評価のあり方は利用状況を数量化するための方法で、これだけではまだまだ不十分です。
 博物館に対する見学者の評価は、「見やすさ」「コレクション数」「お勧め度」をそれぞれ評価するもので、人それぞれの好みにもよることが多いようです。そして、あえて交通費や手間をかけて出掛けて行く価値があるかどうかです。施設側としては、博物館の機能は展示・教育普及・資料収集保管・調査研究の4つに分けられて評価される傾向があります。
 博物館法が公布されて52年なりますが、この間に日本の博物館は外国のように成熟した博物館になってきたでしょうか。欧米の博物館は市民生活の中に入っているのに比べ、日本の博物館はまだまだ「敷居が高い」という声が聞こえます。アメリカでは博物館に対する評価は、既に100年近い歴史があります。

2年前、東京都議会で都立高尾自然科学博物館の廃止問題が取り上げられました。高尾山のふもとにある自然科学博物館は、多くの都民が訪れ、高尾山自然研究路など豊かな自然をフィールドに、自然講座や自然観察会など、自然への関心を広げる取り組みを行っています。専門家の協力を得て、奥多摩・檜原などの森林調査も行っています。都が試行した行政評価結果報告書では、この博物館の評価を行っていますが、所管局の一次評価は、必要性は今後も増大していくものと思われる、事業の継続が適当であると存続の立場を示しています。ところが、総務局が下した二次評価は、地域性が強い小規模な博物館を今後も所有し続ける意義は薄いとし、廃止か休止と、極めて冷たい評価となっています。しかし、この博物館の利用者は、高尾山を訪れるハイカー、学校の遠足など、中高年から小学生に及び、地域も全都に及んでいます。無理やり廃止するのではなく、むしろ緑のボランティアや子どもたちの自然体験の拠点として拡充することこそが、地球環境保全の流れに沿ったものとなることさえできる気がします。立場によっても評価が変わってしまいます。

 各博物館は評価と運営が表裏一体ものとして早急にシステム化する必要があります。当然、博物館の活動が好き勝手にやっていいわけがありません。法人化とともに、説明責任が必ず求められます。活動の説明責任を保証するためには、評価が行われなければなりません。活動の独自性を保ちつつ、説明責任を保証するためには、今までよりキチンとしたマネジメントも要求されます。博物館は利用者の姿を知り、必要があればその実状にあった改善をし、博物館が提供できる質を高めていく必要性があるでしょう。