危機的な美術館 
 vol.122  2003/5/10

湯布院の山荘「無量塔(むらた)」が、経営不振に陥った「由布院空想の森美術館」再生に乗り出しました。音楽に関する絵画やオブジェを集めた新しい美術館、空想の森「アルテジオ」が、再スタートしています。広さ約200uのスペースに音楽を題材にした作品などが並び、人気旅館の新たな試みは業界の注目を集めています。しかし、多くの美術館の現状は大きな危機に直面しています。99年2月、池袋にあったセゾン美術館が閉館。続いて東武美術館も01年3月をもって閉館。美術館も冬の時代を迎え、新宿にあった三越美術館が99年に閉まりましたし、山種美術館がより狭いスペースへ移転しました。池袋駅東口では、先に閉館したセゾン美術館が現代美術中心に企画展を展開、西口では東武美術館がとオーソドックスな路線を歩み、美術ファンを楽しませてきました。東武美術館は百貨店・電鉄系の美術館の中では唯一、国宝や重要文化財を公開できる施設だったと聞きます。02年12月、名古屋のヒマラヤ美術館が閉館。美術館の母体であるしにせ洋菓子店「ヒマラヤ」が本業不振の穴埋めに、ヒマラヤ美術館が所有する絵画を担保に借金したうえ、多数の絵画が担保流れになってしまいました。ヒマラヤの創業者・故津田弘氏が集めた絵画を展示するため、77年に開館、83年に財団法人化。愛知県教委に提出した財産目録によると、00年3月以前には、基本財産として絵画が70点、簿価で計2億2738万円がありました。その後には18点、簿価で1125万円に激減しています。岸田劉生や梅原龍三郎などのほか愛知県出身の画家の作品も多数集めていたことでも有名な美術館でした。同県尾西市生まれの日本を代表する女性洋画家三岸節子や、名古屋市在住の杉本健吉氏の作品など、かつて総点数は200点近く所蔵していました。三岸節子や、夫の好太郎の代表作も含まれていたようです。三岸好太郎の「三人」や「少年」、三岸節子の代表作と言われる「ヴェネチア」などが人手に渡ったとのことです。多くの絵画は、すでに借金の貸主が売り払い、行方が分からなくなっています。

昭和50年10月に開館した盛岡橋本美術館は入館者の減少等を理由に、平成13年3月に閉館しました。盛岡橋本美術館では、土地・建物及び所蔵する作品等、全ての財産について盛岡市へ寄贈したい旨の申し出があり、これを受け入れる方向で検討を進めているようです。また、新潟県寺泊町にある相澤美術館も閉館しました。 理由は館長が高齢で運営を続けることが困難だからだといいます。相澤美術館は、館長の相沢直人氏の個人コレクションを公開する私立の美術館で、こぢんまりとしていますが海を見下ろす高台にあるおしゃれな外観で、難波田史男など一流の美術作品を多数展示する質の高い美術館です。館長の建康というやむを得ざる理由とはいえ、閉館に至ったことは実に惜しまれます。

兵庫県宍粟郡波賀町引原の引原ダム湖畔にたたずむ「音水湖畔和弘美術館」も、昨年閉館しました。近辺で唯一の美術館として親しまれてきただけに、閉鎖を惜しむ声も多く、町と関係者らは今後の在り方について検討を重ねています。 同美術館は、学校法人「和弘学園」が、理事長・並川明子さんの夫・能正氏のコレクションの公開を目的に開設。建設地に同町を選んだのは、園児らがスキーなどで訪れた際、その景観に魅せられたことなどがきっかけ。 湖畔の景観に溶け込む延べ約400uの規模で、三展示室とレストランを備えています。国内外の絵画、書、彫刻、陶器など約600点の館蔵品を、年に数回の企画展などを順次展示。 開館後数年は年に約三千人の入館者がありましたが、横を通る国道29号の通行量が減り、近年は年間千人前後だったようです。 同じ兵庫県内の恰美術館は平成4年3月の開館以来、芹沢_介展をはじめ、「追悼・黒沢明展」など数々の企画展を開催していましたが、町田市立国際版画美術館所蔵の「歌舞伎と美人の浮世絵展」をもって平成13年10月に閉館しました。大阪市立美術館で開催中のギュスターブ・クールベ展。展覧会初日から4日間で入場者は、9千人を上回りました。以前、行われた「フェルメールとその時代展」にも3ヵ月の期間中に、60万人が入場、「雪舟展」には22万人。 知名度のある作家や美術館にスポットを当てた展覧会は、どこも盛況のようです。でも、人が集まる美術館や企画展は、ほんの一部の展覧会だけではないでしょうか。美術館への入場者の数は、89年の3000万人以上をピークに、その後、2000万人の半ばへと減少傾向にあります。また、不景気のあおりで、閉館する美術館がこの6年で急増、01年には、20館が閉鎖しています。今、現在も、一部の美術館を除き、多くは、その経営が、深刻な状況に変わりはありません。