紙面の作り手を思う 
 vol.117  2003/3/18

今年も残すところ2ヶ月を切った。いま耳に聞こえてくるのは、「危機」「混迷」「閉塞感」の合唱ばかり。世の中がよどむと、人々の気持ちも落ち込む。血生臭い事件が相次ぎ、知らず知らずのうちに神経が麻痺させられていることに気付き、われながら嫌になる。新聞の使命と違うとお叱りを受けるが、こんなときこそ明るい記事がもう少し多かったらどうだろう。
 31日、出張で神戸に宿泊した。出張先のホテルで朝早く読む朝刊は楽しみの一つでもある。1日の朝刊1面に「一足お先にXマス気分」「神戸のホテル赤、黄で電飾」とあり、メリケンパークにあるホテル東側壁面に巨大なツリーをかたどったイルミネーションがカラー写真で紹介されていた。例年より3週間以上も早く、「明るい話題が少ないだけに、思い切って」とホテル側の配慮らしい。写真をよく見ると、自分が宿泊していたホテルであり、瞬間ながらこの撮影したカメラマンと向き合っていたことに気が付いた。
 この記事を読みながら、神戸新聞の作り手である記者やカメラマンに思いを馳せないわけにはいかないだろう。一読者の視点で記者を眺めてみると、違う姿が見えてくる。特に広い面積を有する但馬管内をカバーする記者やカメラマンは実に器用であり、精力的に動いている姿が紙面から読み取ることができる。

 そこで気になる点として活字になった記事の影響力である。若者の新聞離れやweb版の普及により、読者の新聞への信頼度は一時期よりも低下しているが、それでも影響力はまだまだ大きい。例えは悪いが、嘘でも繰り返し聞かされれば人は信じてしまう。まして新聞の活字になれば、その影響は計り知れない。一度記事になってしまうと、それは勝手に一人歩きしてしまう。私たちは知らず知らずのうちに活字信仰に陥ってしまい、その頂点が新聞ということになる。
 人間が書く以上、主観が入るのはやむを得ないが、せめて天気予報のように「但馬地方の今日の記事の信頼度は○○%です」と書いてほしいものである。
 新聞はニュースの速報性や娯楽面ではテレビに遠く及ばないが、文字による記録性は新聞の武器でもある。長期の問題を扱った記事も増えているが、残念ながら新聞の命は極めて短く24時間なのである。しかし、読み方によっては価値観が千変万化するのも新聞の特質である。新聞を精読してみると、あらゆる面で得がたい記事がたくさんある。
 こんな視点で署名記事や「記者最前線」「デスク回線」を毎回楽しませてもらっている。これからの季節、新聞社のデスクの上では、今年と来年がせめぎ合っているのだろうか。(神戸新聞を読んで 02/11掲載)