◆ 小さな頃、親が買ってくれた地球儀を眺めながら、遠い国へと思いをはせていました。地球は巨大でとてつもなく大きいものだと信じていました。21世紀の現実は世界のどこに住んでいても経済危機などの影響を受け、私たちは好むと好まざるとに関わらず、地球市民になっています。大国が地球を私物化する構図が続いているのです。私たちは地球上に暮らしている人たちについて、どこまで知っているのでしょうか。知識として知るだけではなく、交流することによって一緒に感動することは大切なことです。自分と同じ文化を持つ人との交流が一番楽なのは当然であり、自分と違った文化や価値観を持つ人との交流の方が、とても刺激的になり、より多くのものを生み出してくれます。
しかし、日本の国際化の現状は真の国際化ではなく、外国化しているだけに過ぎないとの指摘があります。特に姉妹都市交流は、地方自治体が取り組む上で最も地域住民から理解が得やすい国際交流ですが、いったん始まった交流は10年経っても、20年経っても儀礼的な交流ばかりで、地域住民からかけ離れた陳腐な活動になっていることが多いのです。
◆ 近年は学校や地域で、新しい異文化理解の試みが広がっています。国際交流の主体者として、地方の人々が直接、世界の国々や人々と交流するようになっています。言い換えれば、地域住民が国際交流の大きな担い手になったのです。相手の置かれている状況にいかに寄り添い、共感を抱けるのか。異なる文化や習慣をもった人たちとの交流は、援助する側、される側の立場を超えて、私たち自身の生き方そのものにも大きな影響を与えることが多いのも事実です。
◆ モンゴル国と交流を図る但東町に、友好使節団14人が訪問しました(10月22日付朝刊但馬版)。子どもたちを中心に構成された一行は、地元住民や子どもたちと触れ合い、多くのことを学びました。異文化を知ることは彼らを通して自分たちを知ることにもつながっています。だからこそ真の国際理解教育が求められるのです。小さな力が世界を変えていくささやかなきっかけとなった友好使節団の記事でした。
異文化理解は、異文化に生きる人たちの状況や問題を知り、自分との関わりの中から共感を持ち、多様な価値観を受け入れる姿勢を養う必要があります。国際親善も大切ですが、眼前に横たわる問題を解決していくことが最も大事です。
そして、ある国にたった一人の心から理解できる友人を持つことだろうと思います。神戸新聞の記者同様に国際交流の原点は一人の人間から未知なる情報を伝えていくことなのです。(神戸新聞を読んで 02/11若干校正) |