◆ 先月中旬、仙台の伯父が亡くなりました。長く国鉄マンとして働いてきた生真面目な人で、小さい頃に遊びにいくと必ず郷土や世界の歴史などの話を聞かせてくれました。中学2年のとき、書斎から出してきた書籍を数冊読んでみろと持って来ました。それが今でも持ち歩いている大西信武さんが書いた「常呂遺跡の発見」です。30年以上にもなりますが、何度も何度も繰り返し読んでいるので、どこに何が書いてあるのか全て覚えています。それでも引越しするたびにいつも荷造りの中にあり、今も書棚の中に並んでいます。
この国指定史跡「常呂遺跡」ですが、北海道を代表する遺跡としても有名で、道東のオホーツク海沿岸部に位置している120ヶ所にも及ぶ遺跡の総称です。この地域はサロマ湖にも面しており、夏になると多くの観光客で賑わうところです。遺跡はオホーツク海沿岸から常呂川の河口に至るまで密集しており、旧石器時代から近世アイヌ期に至るまで連綿と遺跡が形成されています。竪穴住居などは現在でも埋まりきらず凹みとして確認できる特異な状態で確認されます。
オホーツクというと、流氷や網走監獄があまりにも有名ですが、かつてこの地で遺跡を守りぬいた男の話があります。その主人公が大西信武という土木作業員なのです。彼は明治32年(1899)に旭川に生まれ、大正13年(1924)に常呂町に移住し、土木作業に従事しながら生計を立てていました。家が貧しく、体も小さく、苦労を重ねながら、小学校を出てすぐに工事現場で働いています。この土木作業から常呂遺跡の重要性を理解し、東京大学教授の服部四郎(1908〜80)や駒井和愛(1905〜71)を動かし、その熱意は町をも動かし、昭和39年(1964)に町は遺跡を専門に研究する施設を立てました。これが現在の東京大学文学部附属北海文化研究常呂実習施設です。
常呂遺跡はアムール河口部〜サハリン〜北海道オホーツク海沿岸〜千島列島を中心とする環オホーツク海地域に展開した「オホーツク文化」を解明する上で重要な遺跡です。この文化は、紀元後5〜10世紀頃、和人やアイヌとは異なる大陸の靺鞨文化・アムール女真文化起源のものが認められるなど、北アジア地域とのつながりが明確に認められ文化を持っています。オホーツク人は海獣狩猟や漁撈などの面で高度な海洋適応を果たす一方、陸獣狩猟にも卓越しており、住居内にヒグマの頭骨を祀るなどの動物儀礼を行っていました。このようなヒグマを中心とした動物儀礼が、のちのアイヌ社会の「クマ送り」儀礼と類似する等、アイヌ文化の起源という面でもオホーツク文化は注目を集めています。
一面識もない地元の土木作業員の話によって東大教授二人が動き、遺跡の発見や保存は立場こそ違え、関係者の素直な心の動きに発する真摯な熱意の結晶だったのかも知れません。北の遺跡を守った男は溢れる誠意に満ちた人間の情熱を遺跡とともに私たちに伝えようとしているようにも思えます。責任感を喪失した日本国の政治家や官僚と比較すると、ことさら感慨深いものがあります。
◆ 19年前、仕事で北海道を廻っていたとき、この常呂遺跡一帯を歩いてきました。このうち栄浦遺跡は収穫を終えたばかりで、畑には黒曜石の石器が夥しいほどの数が散乱していました。東北地方の遺跡しか知らない者にとって、黒曜石の多さにビックリしたものです。この常呂遺跡との出会いによって「北」に対する興味から、オホーツク文化、アイヌ、ロシア、モンゴルへと興味が広がりました。多感な年齢だっただけに、大西氏の生き方に感動を覚えたものです。無垢な少年だった思いは、現在も生き続けているのでしょうか・・・。たくさんの本と出会うだけではなく、人によっては一生何かの関わりを持つきっかけとなった本もあるのではないかと思います。その本を開くたび、自分と向き合うことができる本なのだと思います。それが私にとって伯父からもらった一冊の本「常呂遺跡の発見」なのです。
|