泣き笑いの「むら芝居」 
 vol.104  2002/10/15

 約400年前、出雲のお国ら女性を中心とした歌舞伎が京都で踊られたのが歌舞伎の始まりとされています。その後、男性だけが舞台に立つようになりましたが、地芝居では女性たちの歌舞伎が現在も健在です。近畿地方では現存する最古の芝居小屋と言われる出石町の永楽館(町指定文化財)があります。明治33年(1900)11月に現在地に着工され、翌年6月に開演式が開かれています。木造2階建延べ約600平方メートルで、1階に回り舞台のある舞台や桟敷席を通る花道、2階にもコの字形の客席がある立派なものです。舞台装置も花道の途中で消えるスッポン、舞台の下に消える奈落、回り舞台、太鼓櫓も備えている本格的な劇場なのです。桟敷席は574席。全体の保存状態もよく明治の劇場の面影をよく今に伝えています。大正13年(1924)、二・二六事件後の粛軍演説で知られる斉藤隆夫らが開いた護憲演説会には、千人を超す聴衆でにぎわったといわれます。1960年代以降は時代の流れで閉鎖されました。町は観光の新しい柱として将来は復元活用すべく進められているようですが・・・。以前、内部を見学させて頂きましたが、劇場としての利用には様々なハードルを超えなければならないようですが、将来はここで芝居が見られるようになったらと思います。

 兵庫県といえば播州歌舞伎が有名です。但馬では関宮町の農村歌舞伎舞台が国指定になっています。関宮町吉井地区では22年前から村芝居が復活し、今回で20回目を数えます。井上神社境内にある農村歌舞伎舞台では、仕事を終えた後の練習にも熱が入っています。日高町宵田地区にある住民劇団宵田一座、出石町の中村勘太郎一座、但東町の女性劇団ささゆり。群馬県赤城村では中学校に歌舞伎部があり、全員が女子部員。村の古老からマンツーマンで芸が伝えられています。埼玉県小鹿野町は200年も歌舞伎が受け継がれ、現在でも5地区で奉納されていると聞きます。山口県長門市の俵山女歌舞伎は、江戸時代から受け継がれています。

 かつて農村集落では青年団を中心とした若者によって各地でむら芝居が演じられていました。青年団活動の衰退に伴い、徐々にその姿を消していき、今では数少ない昔懐かしい村芝居になってしまいました。現在でも全国各地で素人芝居が行われていますが、この加美町箸荷地区では「日本で唯一、消防団員でつくる素人劇団」をキャッチフレ−ズに村おこしを活発に展開しています。この「劇団・箸消興行(はせしょうこうぎょう)」は、箸荷(はせがい)地区の消防団員で組織し、村を「興」そう、「行」動しようの願いをこめ、劇団の名前とされたそうです。加美町ではほとんどの集落で秋祭りに青年たちが芝居を演じていたそうですが、時代の流れとともに衰退、消滅してしまいました。箸荷地区も20年前に消滅。「昔のあんな芝居をやってみよう」そんな声があがり、いったん途絶えていた村芝居を地区の消防団員で1993年に、約15年ぶりに復活。以後、毎年演目を変え、時代人情劇を中心に興行活動を続けています。プロの指導を受け、衣装やメ−キャップまでプロにしてもらう本格時代劇で、舞台や小道具はすべて彼らの手づくりです。97年から町内の老人ホ−ムの慰問を兼ね特別公演も実施。これには町内をはじめ県下各地から素人芝居ファンが詰めかけ、拍手喝采を浴びています。地域のなかで評判の劇団となった今、各地から公演依頼が舞い込むが、興行に多額の費用がかかるうえ、団員の職種もさまざまであることから日程調整が難しく、すべて丁重に断っているそうです。それだけにこの劇団の芝居は価値があり、会場はいつも超満員となります。芝居公演以外にも、集落新聞の発行や元旦の山頂イベント、「はせがい寄席」開催など、通常の消防団活動に加え実に多彩です。「小さな集落から全国に向けて素人芝居の里を発信し、将来は手づくりの芝居小屋をつくりたい」、そんな思いが素直に伝わってくる芝居でした。劇団・箸消興行の夢は地域を越え、どんどん大きく広がっています。
 10月13・14日、この地区で全国むら芝居サミットが開催され、北は山形から、南は大分まで多くのファンがここに参集し、泣き笑いの「むら芝居」を心ゆくまで堪能できました。