異文化に学ぶ 
 vol.100  2002/10/1

 モンゴルとの交流を図る「モンゴル友好使節団」が18日から25日の予定で但東町を訪問します。友好使節団はモンゴルの子どもたち一行14人で構成されており、都会では味わえないゆったりとした雰囲気の中で、地元住民や子どもたちらと触れ合い、楽しいひとときを過ごす予定です。文化や習慣の違いなどから滞在期間は苦労も多いと思いますが、モンゴルに帰っても地球規模で考えるきっかけになる交流になればと思います。わずかな言葉と表情だけで「後は勝手に理解してください」という日本人特有の方法は世界では通用しません。異文化理解は、まず自ら話さなければ「理解」には程遠いと痛感します。異文化を知ることは自分を知ることにつながっています。だからこそ国際理解教育が求められる所以です。皆さんもモンゴルの子どもたちに直接、話してみてはいかがですか。小さな力が世界を変えていくきっかけになると思います。10月20日(日)はモンゴル博物館も終日無料開放していますので、多くの人たちに来館していただき、国際理解につながるイベントにも参加してください。モンゴル相撲の横綱、雪害で親を亡くした子どもたち、中学生から大学生までの子どもたち等、モンゴルの人たちが当日は20数名の人たちが集まる予定です。馬頭琴コンサートもあります。
 
 小さい頃、地球は巨大でとてつもなく大きいものだと思っていました。祖母が買ってくれた地球儀を眺めながら、遠い国へと思いをめぐらせていたものです。20世紀は地球が小さな天体であることを悟らせた時代でもありました。世界のどこに住んでいても経済危機などの影響を受け、私たちは好むと好まざるとを問わず、地球市民になっています。だとすれば、地球のことをもっとよく考えるような活動的な地球市民になるのが私たちの務めであろうと思うのです。大国が地球を私物化する構図が最近続いていることに危惧しています。
 また、日本では、家庭での児童虐待が急増し、年間3万件を超すと推計されています。高裁判事や教員が少女を買春して捕まる時代で、少女たちの援助交際も耐えません。物質的には世界最高水準の国なのに、何とぜいたくで、心貧しい姿なのかが浮き彫りになっています。

 ボロボロの薄汚れた服をまとった幼い子らが、ビニール袋を片手にゴミの山から金属屑などを拾って渡り歩いている姿が外国発の番組として放映されます。裸足でゴミの山を歩いているせいか、ガラスの破片で怪我した傷、片道数時間もかけて隣町からやってきたという子どもたちの姿がそこにはあります。これが彼らの日課であり、子どもたちも働かないと家族が暮らしていけない現実なのです。勉強したくても学校に行けない子どもたちが沢山いることを日本人は他人事のように考えています。ヨーロッパでは国境を接する国々の間で絶えず交流があり、子どもの時から異なる言葉と文化の中で生活しています。いずれ、異なる文化と言語が当たり前のように生活の中で共存する時代が来ることを当たり前のように受け入れています。
 異文化理解は、単に外国語が上手になったり、外国事情の知識を増やしたりするレベルにとどまりません。異文化に生きる人たちの状況や問題を知り、自分との関わりの中から共感を持ち、多様な価値観を受け入れる姿勢を今の日本人は養う必要があるでしょう。

 自分と同じ文化を持っている人とのコミュニケーションが一番楽なのは当然ですが、自分と違った文化や異文化を持つ人とのコミュニケーションの方が、はるかに勉強にもなり、より多くのものを生み出してくれます。 日本の国際化の現状は真の国際化ではなく、外国化しているだけに過ぎません。学校や地域で、異文化理解の試みはさまざまな形で広がっているのは事実です。相手の置かれている状況にいかに寄り添い、共感を抱けるのか。異なる文化や習慣をもった人たちとの交わりは、援助する側、される側の立場を超えて、私たち自身の生き方そのものを問うているように思えます。
 モンゴルの子どもたちを理解する日本人が増えれば、日本もモンゴルや外国で仕事をしやすくなります。子どもたち同士の交流が、二つの国の発展につながる可能性もあります。今回の交流が子どもたちにとって、世界につながる「どこでもドア」になってほしいと願っています。そして思うことは国際性や異文化理解とは、外国語が上手になることではなく、ある国にたった一人の心から理解できる友人を持つことだろうと思います。そうすれば、その国とはきっと戦争したくなくなるだろうと思うのです。