何故、但東町にモンゴル博物館なのか 
 vol.8  地方こそが新しい文化を築くのに最も相応しい前線基地

 何故、モンゴル文化の発信基地として地方の但東町が担わなければならないのでしょうか。個人的な見解ですが、地方こそが新しい文化を築くのに最も相応しい前線基地だということです。

 ここではモンゴル文化を但東町が紹介していく意義付けについて整理しておきます。但東町とモンゴルとの関係は、85年の大阪外国語大学モンゴル学科によって農村調査の一環として訪れたことに端を発しています。そして、本年10月に開催された「モンゴル国際シンポジウム」は、但東町を内外に向けて「モンゴルの町」としてのイメージメーキングに役立ったと考えられています。イベントの時代と言われるように、社会経済のソフト化が進む中でフェスティバルやシンポジウム等のイベントが効果的な文化戦略であるという認識が高まっています。このようなイベントに対して、類似企画が多いとか一過性だとか批判や疑問が出ており、実際どの程度、地域の活性化に結びついているかといえば、極めて否定的です。本当に地域開発に役立ち将来のためになるには、何をやるかというコンセプトを徹底的に議論し、それぞれの地域の特色を出していかなければなりません。そうした反省から、近年はイベントの一過性のものに終わらせず末永く地方文化振興の土台に据える方途を模索していく傾向にあります。理想と現実との距離は誰しもが痛感しているところでしょう。とはいえ、少しでも理想に近付くべき努力はなされなければなりません。これらの点を踏まえて考察するならば、国際シンポジウムというイベントが単なる一過性に終わるのではなく、次なるステップに進むためにはある種の「仕掛け」が必要になることは自明の通りです。

◆ モンゴルを町の目玉として思考している但東町にとっては、「モンゴル博物館」がまさに町の活性化、地域おこしのシンボルであり、またセンターとしての役割を果たしていく可能性を大きく秘めています。他地域から訪れた人たちもまず博物館を訪れて、そこでこの町の特性と文化を知ろうとします。そこには人と人との交流の場、地域と地域の交流の場となります。ということは情報交換の場になることです。つまり地域の博物館もそうした情報発信の場、情報交換の場として位置付けされますし、そのことによって地域活性化に新しい役割を果たせるかも知れません。情報通信網の発達により、情報格差はある程度解消されています。

 全国的に文化施設の充実をもたらした反面、近年は地域的な偏りも生じ、またあまり利用されないという事態もかなり見られるようになりました。文カ行政が叫ばれて久しいが、経済水準の高まりに比べて全国的な町づくりはさほど進展していないのではないでしょうか。それは多様な文化を作り出していくだけの活気ある社会が維持されていないところに問題があるように思われます。このような社会であるからこそ、「文化」で結びつく仕掛けが必要になると思います。この仕掛けを持たない地域は、いずれ人々が寄りつかなくなってしまうでしょう。地域がそういう仕掛けをふんだんに有し、人々の多種多様な活動の積み重ねが行なわれ、地域振興に結びついていくことを期待しています。