| ◆ 博物館建設に向けて ◆ | |
| vol.13 | 山と積まれた資料の中を泳ぎ、ソファーがベットの毎日 |
| ◆ 但東町には昭和47年に廃校になった赤花小学校を利用して開館した但東町民俗資料館があります。開館当初はある程度の利用者もありましたが、近年は年間10人ほどになっていました。ここの資料館にあるものも博物館で利用することにしていましたが、20数年間も開館当時のままに放置されており、経年変化に伴う劣化がひどい状況でした。カーテンはズタズタに破れており、「学校の怪談」という雰囲気を呈しており、とても一人では展示室の教室を回ることはできません。夏の夕方、緊急で調べる資料があったので、いやいやながら資料館を訪ねました。運悪く夕立にあってしまい、資料館の中は薄暗くて気持の悪い生ぬるい風が廊下を伝わっていきます。お化け屋敷とまでは言いませんが、とても胸を張って町の民俗資料館ですとは言えません。いずれにしても、資料館の整理は一筋縄ではいかないことがよく理解できましたので、まず緊急に保存すべきものから他所に移動することにしました。 ◆ これまでの町の文化行政をとやかく言う立場ではありませんが、せめてもう少し管理だけでもできていたのならば、貴重な資料が朽ちてしまうようなことはなかったのにと悔やまれて残念です。これと併行しながら、町内の文化財をすべて見て歩くことにしました。但東町史ではある程度の文化財や歴史は理解できていましたが、実物を実見したことがなく保存状態の確認もついでにしてしまおうと計画しました。ある日、突然のように但東町に引越し、仕事だからとはいえ、神社仏閣を覗きまわっているヘンな奴がいると、おじいちゃんやおばあちゃんに怪しまれて声を掛けられたことも数回。このような時期(年末年始)に無住になっている神社の欄間が盗まれたり、お堂に奉っていた仏像が盗まれたり、放火未遂といった事件が相次いでしまい、これから博物館を建設して文化財の保護を図ろうとしているときだけに頭の痛い事件でした。また、但東町は想像以上に雪の多い地域であることも、引越しをしてから初めて知りました。古い仏像などは老朽化したお堂に安置されているケースが多く、豪雪のときには倒壊しないかと文化財パトロールを始めました。上記のような事件が続いたこともあり、普段から関心を持ちながら文化財保護に当たりたいと考えています。着任した年が豪雪で、町内の文化財を見て回っているときに、雪が1メートル以上も積もっており、確認するお堂まで30分ほど雪をラッセルしながらの文化財の確認作業です。北海道や青森などの雪の多い地域の人たちはどのようにしているのか、話を聞かせてほしいところです。 ◆ こんな調子で町の文化財を調査して歩き、いよいよ整理室で博物館開設に向けての本格的な準備作業に入ります。第一次整理室は役場向かいにある中央体育館の2階事務室を占拠させてもらいました。隣室は「子育てセンター」なので、就学前の子供たちの活動の場を奪ってしまい、迷惑をかけてしまいました。約1年間はこの整理室と教育委員会を行ったり来たりの連続でした。30畳分の収蔵室と12畳分の整理室に部屋を改造して使い、資料や図書などを集めることにしました。屋外書庫から教育委員会に送られきた発掘報告書や文化財報告書などを運び込み、兵庫県と但馬に関し勉強を始めました。給料をもらいながら、好きな勉強をとことんまでできる仕事も悪くありません。次に、但東町に関する文献を片っ端から読破していき、ある程度の但東町の全体像がおぼろげながら理解できるようになりました。 ◆ また、夜中に一人で土器の復元をしていると、突然、警備会社の人が幽霊のように静かに現れて驚かされることも度々。1週間のうちに3日ほど徹夜することもザラ。開館日が既に決定しており、逆算していけば当然やらなければならないことが山積していることは当たり前。整理室に泊まりこみ、そのまま教育委員会に出勤することも日常茶飯事です。たった一人だけでの仕事でしたので好きなようにやれましたが、進めど進めど遅々としてはかどらない作業に苛立ちが募るばかりでした。思いきり頑張ってみたり、時には障害にぶつかり挫折をしたり、頑張りと挫折の連続のような日々でした。 ◆ 第二次整理室は、新築の町民センター1階の離れにある半円形のおしゃれな部屋です。このときには教育委員会から主事1名が既に移動し、他にも数名のアルバイトの人たちが手伝うようになっていました。町外からは大学院生数名を雇用していましたが、こちらが期待しているほどの成果を得ることができませんでした。この第二次整理室は、11月2日に竣工するのが最大の主目的でしたので、余裕のない時間をいかに有効に使っていくかが大きな課題でした。そのような仕事とは裏腹にいつもコーヒー豆の香りのする部屋で、自由な居心地の良い雰囲気が今でも印象的です。第三次整理室は竣工した博物館の応接室でしたが、ここは展示業者との打ち合わせの連続で、まるで戦場のような場でした。山と積まれた資料の中を泳ぐように動き回り、ソファーがベットに代わる毎日。開館2日前にようやく開館できるメドがたち、復元したゲルの中で展示関係者と祝宴をあげたのが今でも懐かしく思い出されます。いずれにしても、役場職員らしからぬ生活が博物館開館まで続き、他職員には迷惑をかけていたのではないかと反省しきりです。 |
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