どのような施設を目指すのか 
 vol.10  世界に通じるローカル館

 博物館や美術館を中心とした町づくりは、すでに全国各地で盛んに行なわれてきました。特に但東町が保有している民俗資料だけを活用して従来と同じ民俗資料館の設立を望むものであれば、何とも時期を逸しています。少なくとも10年以上の遅れをとる結果になってしまうでしょう。但馬に位置している同じような近隣市町村が軒並み博物館を作るとしたら、いずれも似たり寄ったりのテーマになってしまいます。風土の違いもなく、ただ行政区域が違うだけで博物館や郷土資料館を作ってみても特色のある内容をもった博物館とすることは極めて困難です。せっかく作ったはいいが、数年を経ずしてあまり活用されない無駄な施設となることは明らかです。博物館を作るのであれば、何のためにやるのか、どういう機能を持たせるのか、そのことを理論的に固めておかないと本当に変なものになってしまいます。何を訴え、何を理解させるのか、テーマを明快に伝達していくものでなければ、なかなか人は足を運んではくれません。

 人を驚かせるものは特に必要ありませんが、テーマパークのように一度見たら満足だというのではなく、博物館や町に対するファンをいかに増やしていくかが本来の仕事だと考えています。いつも同じ物が並んでいる郷土資料館と違って、モンゴル民族の遺産が身近に見られることは「世界に通じるローカル館」であり、ユニークな博物館として理解されていくかも知れません。どこの博物館にもいえることですが、常に新しい情報発信がなければ関心が薄れてしまいます。活動の視点は学者や研究者の目ではなく、利用者や地域住民の目だと思います。観光目当てと云われようが、人が来なければ何も始まりません。地域の人たちも取りこみ、「私たちの博物館」という親近感をはぐくむことは将来の地域における真の文化行政の在り方ではないかと思います。整備や活用の成功のカギは「地域一体型の住民参加」であろうと考えています。住民も足を運ばないものに、観光客がわざわざ訪ねて来てくれるはずがありません。同様なものに「多目的施設」と呼ばれるものが最近よく見うけられますが、文化活動を名目としながらも、文化活動以外の他の目論見をもって建てられた多目的ホールがいかに多いことでしょうか。多目的といえば聞こえはいいですが、使ってみれば無目的だということがはっきりしています。多くの人たちが集まるものだから、仕方がないかも知れませんが、けして人を呼べるだけの評価にはつながりません。やはり施設として、明確な目的を持つことが大事です。

 町の特性そのものだけを対象にしたのであれば、これはまさしく郷土資料館です。現在の但東町というものを歴史的にも自然史的にも地域の問題としてセールスポイントに置いた場合、インパクトがあまりにも貧弱です。実現に向けての具体的なセールスポイント、手続きが問題になってくるでしょう。ただ博物館は最初の投下資本が非常に大きいので、そのときの財政事情に左右される宿命があります。しかも町村レベルになると、学芸員の確保や養成は大変です。まして研究スタッフを揃えることは不可能に近い状態です。博物館の規模や内容がまだ固まっていませんが、コレクションをただ展示するのは今や過去のことです。やはり研究機能を持たせ、常に話題や情報を発信し続けることが集客へもつながっていきます。また、国際化の流れにも目を向けていく必要があります。行政主導では予算などにとらわれて、博物館など「箱もの」の整備や活用のソフト面においては、夢のあるものは望みにくいと酷評される場合が多いのですが、施設・設備・活動・収蔵資料とも「待ち受け型博物館」ではなく「行動型博物館」として考えていくべきです。

 また、シルクロードというネーミングで町おこしを続けてきた但東町を、町全体を中央アジアまたは砂漠と仮定したうえで、町の幹線道路をシルクロードと考え、その途中のオアシスという拠点を散策してみるといった趣向も面白いのではないでしょうか。そのオアシスが博物館であったり、平田自然村であったり、シルク温泉だったりというように、町全体をもっともっと楽しく位置付けていく考え方が必要ではないかと考えています。博物館だけだと、30分もすると帰ってしまうケースが多いようです。何かを中心として、学習してもらい、理解を深めてもらいたいのです。ただ、観光だけを目的にしてしまうと来館者も一過性になってしまいます。研究の成果を打ち出したり、モンゴルに関する情報を提供したり、学術的な裏付けをして、モンゴルのことなら但東町に行けといわれるような施設にしなくてはなりません。そうすることによって二度三度と訪れてくれる人も出てくるはずと確信しています。