◆ ウランバートル市内には9月中旬から暖房が入るようになります。火力発電所の余熱を利用したもので、パールという暖房設備が各部屋に設置されています。窓下に設置されており、触るとかなり熱い温水が廻っていることが分かります。洗濯物なども簡単に乾きますし、部屋中どこにいても快適そのものです。室温は常に25度前後になっており、半袖一枚で生活できます。天然の温室状態ですので、子供たちは真夏のような格好で狭い家の中を走りまわっていました。外と室内の温度差が激しく、急に外から帰ってくると頭が痛くなるときもありましたが、慣れるとそれなりに生活できるものです。
朝起きて窓ガラスの曇り状況を見ると、朝の気温が概ね想定できます。寒いときで氷点下35度を何度か経験しましたが、日本で考えている気温とは大分違います。確かに肌に突き刺さるような寒さですが、乾燥しているせいか日本のような重たい寒さではありません。窓の隙間には真綿が置いてあるケースが多く、断熱材の代用にされていました。二重窓になっていますが、外気温との差があまりにも大きいので、窓の隙間から冷たい風が室内に入り込み、その部分だけ凍結していることも珍しいことではありません。また、乾燥の度合いが激しく、常にのどが渇く状態でした。ロシア製の加湿器が各部屋に設置されていました。どうしてこれだけの加湿器が必要だったのか、実際に生活をしてみて初めて理解できました。乾燥している分、静電気もひどいものでした。
◆ この温室のような室温を利用して何か食べれるものを栽培できないかと家族で思案しました。
日本から簡単に育ちそうな種子を持参し、水耕栽培に何度かチャレンジしました。野菜が不足する冬場には自家製の青物などがあったら、健康や作る楽しさも両得だろうなどと思っていましたが、実際には管理がとても大変です。チョット目を離したすきに種子や芽が出たばかりなのに乾燥させてしまったり、毎日が油断大敵との戦いでした。何度も何度もチャレンジしては失敗し、結局、野菜の種子はモンゴル国立農業大学の先生にあげてしまいました。
当時の野菜事情といえぱ、細いねぎ、小振りなたまねぎ、キャベツ、ジャガイモ、香草などが若干手に入りましたが、冬場になるとキャベツとジャガイモしかなく、極端な野菜不足に陥ります。大使館の職員は北京からの買出しで何とか他の野菜も調達できましたが、それでも一定の量しか確保できません。
◆ 大使館の中庭には20坪ほどの温室がありました。この温室を定期的にお世話してくれていたのがダンザンさんという農学者でした。元々、モンゴル国立農業大学の先生をされていたのですが、定年になってから月・水・金曜に大使館へ来ていました。土が病気になっているといえば、温室の土を全部入れ替えたり、美味しい野菜を作るために様々な努力をされていました。収穫の時期になると美味しい野菜を各家庭にまで分けてくれました。それ以外にも水耕栽培の秘訣を教えてくれたり、大学で作られた野菜なども個人的に頂いていました。ダンザンさんが亡くなられてから、しばらくお嬢さんが代りに来てくれていました。今、あの時のお礼を言いたいのですが・・・適わない夢となってしまいました。ダンザンさんは大柄な男性で、いつも笑顔の絶えない、誰にでも深々とお辞儀をされる方で、欲のない、実直な、誠実を絵に描いたような方でした。我が家の水耕栽培は失敗しましたが、それよりもダンザンさんと知り合えたことが何よりの収穫でした。 |