モンゴルからの緊急輸送 @ 
 vol.27  92年4月、日本へ緊急帰国

 92年4月、体調を崩して日本へ緊急帰国しました。半月前から体調の変調を訴えて、勤務中または勤務終了後に医務官から点滴を打ってもらっていました。でも、なかなか疲れが取れず、日に日に疲労感が溜まるばかりです。当時の仕事は、警備と領事です。公館警備のため一日おきに宿直勤務をし、日中はそのまま残って領事業務をこなすという日々でした。海部首相の訪問後は両国関係も急速に改善され、ビザの発給数も急に増えてきた時期でした。緊急帰国は医務官が大使に進言し、私たち家族も納得したうえで緊急輸送を実行してもらいました。近い期日のフライトが中華航空だったので、至急座席を確保してもらい北京経由で帰国しました。北京からは全日空に協力してもらい、夜8時には成田空港に着く予定です。緊急輸送が決定してから、本省との連絡や航空会社との調整・折衝、受入れ病院の手配、関係機関への依頼、中国・モンゴルビザの取得、僅か一日で処理してくれました。

 緊急輸送当日、朝早く大使館からの迎えの車が来てくれて、部屋からタンカに乗せられたまま空港へ直行。同僚や何人もの現地スタッフたちが空港での手続きや機内への搬送に奔走してくれて、無事搭乗。搭乗するまで中華航空の関係者とチョットしたトラブルがあったようでしたが、強引に押しきったようでした。医務官もモンゴルから北京まで付き添ってくれて、北京まで迎えに来てくれていた東京女子医大の緊急救命センターの鈴木センター長にこれまでの経過を説明してくれました。検査の数字を見ながら、「危ない数字だ」「体力が持たないのでは・・・」などの会話がかすかに聞き取ることができました。北京の日本大使館スタッフも空港に待ち構えており、一切の手続きを矢継ぎ早に済ませてくれました。全日空のファーストクラスの席を潰し、そのまま寝たままの状態で運ばれました。

 何度も何度も降りた成田空港でしたが、今回だけは飛行機から空港の灯りが見えた途端、胸に来るものがありました。どしゃ降りの成田空港に着いたのは午後8時定刻。ファーストクラス脇の扉を開けた途端、機体の下には救急車が赤色灯を点けたまま待ち構えており、そのまま家族も搭乗して新宿の東京女子医大へ。その間、国際交流サービス職員の方が入国手続きやらを処理してくれていました。救急車で携帯電話を持った鈴木先生が、刻一刻と女子医大に容態を連絡している声が今でも耳に残っています。救急車の中ではベットに寝たまま、家族の顔ばかりを見ていたように思います。東京女子医大に着いたときにも雨はまだどしゃ降り状態で、救急車から降ろされて隣を見ると会社の先輩がずっと到着するのを心配して待っていたそうです。ただ驚いて一言二言何か話したように思いますが、今では何を話したのか一切覚えていません。そのまま緊急治療室ICUに直行、面会は家族一人だけという制限で妻が短い時間だけ面会したようです。ICUのベットに横になった時点から記憶がなく、ぐっすり寝込んでしまいました。

 しばらくICUにいた後、二人部屋に移されました。隣の患者は都内○△区の教育長らしく、校長先生らしき人たちがひっきりなしに見舞に訪れていました。春ということもあり、人事移動が一段落した後なので、どうもそれのお礼に来ているようでした。その中でも、目を掛けてやったアイツは未だに挨拶にも来ないとかドロドロした人事だったことを窺えそうな話し振りです。「ところで貴方はこの病室に移るのに何日待ちましたか」と質問され、「待たずに移れましたけど・・・」と話した途端、その教育長の顔が歪んでいました。「ちなみに仕事は何ですか」と矢継ぎ早に聞かれ、「外務省でモンゴルの日本大使館に勤務していますが・・・」。「私は1週間以上も待って、ようやく移れたというのに・・・。君のような若い人が、すぐに入れるなんて理不尽だ。外務省が手を回したのだろうか・・・」と不満気にはき捨てていました。区の教育長たる人物の人格が疑われそうな発言に驚いてしまいました。その後も女医さんと診療方針でトラブルを起こしたり、校長の人事よりも、まずはこの人を教育長にした人事の方に興味がありました。

 こんなこともあり、少し動けるよう体力が回復したら、妻の実家のある青森県八戸市の病院に転院しました。東京から青森まで直接向かうだけの体力もなく、一度は宮城県石巻市の実家に立ち寄って休みながら青森まで戻りました。ここでも手続きを妻の実家で代行してくれていたので、すぐに入院することができました。妻の実家ではしばらく孫たちと生活できると喜んでいました。 ウランバートルから北京、北京から東京、そして東京から青森へというように、たった一人の人間を日本に緊急輸送するだけで、いったい何人の人たちが関わってくれたのでしょうか。寝ている状態で運ばれたので自分自身では気が付きませんでしたが、妻から事の顛末を聞いてただただ感謝するばかりです。