◆ ウランバートル市内には古い発電所が4基ありましたが、すでに古くて停止しているものもあり、十分に電力を供給できる状態ではありませんでした。室内暖房は9月15日から入りますが、発電所がうまく機能していないせいか、やや肌寒く感じることもありました。暖房は火力発電所からの余熱を利用して各アパートに配置されているパールと呼ばれるスチーム管につながっていました。それでも暖房だけは一度も切れることは経験しませんでした。地区によっては暖房が一時切れた場所もあり、深刻な電力不足が話題になっていました。
モンゴルの電圧は220ボルトですので、日本製の電気製品を使おうと思うと、変圧器が必要になります。代々の前任者から引き継いだ大小の変圧器が幾つもあったので、一般的なものはほとんど日本から持ち込んだものが使えました。但し、ときどき200ボルトのコンセントに差し間違えて電気製品を壊してしまうことも何度かありました。照明器具も白熱灯を使ったシャンデリアもどきの照明が付いていましたが、電球切れの頻度が多くて大変でした。蛍光灯ではないので、部屋全体が日本に比較するとやや暗い感じでした。停電が復電したときに、電球が爆発することもしょっちゅうです。ただの球切れならいいのですが、部屋全体にガラス片が飛び散ってしまい、掃除が大変でした。時にはソケットのまま飛んでしまい、モンホルおじさんに修理してもらっていました。ロシア製の白熱灯でしたが、寿命が異常に短くて常にストックしておく必要がありました。しかし、その白熱灯もストックするだけ売っていればいいのですが、滅多にストックできるほど買占めなんてできやしませんでした。同僚のアパートでは各部屋の電球が切れてしまい、ローソクで生活していたという職員もおりました。ワープロで報告書類を打っていると、突然、予告もなく停電になります。今まで半日も掛かって打っていた文書は一瞬にしてパァーです。こまめに保存しておかないからだと言われますが、夢中で文書を打っているとそんなことは構っていられません。区切りのいいところで保存しますが、大半は保存できずに何度も何度も同じ文書を作る羽目になってしまいます。あまりにも停電がひどく、ディーゼル発電機が大使館の中庭に設置され、仕事する分には停電とは無縁になりました。が、発電機へ瞬時に切り替わるときにもワープロの対応が悪くて保存できませんでした。結局はこまめに保存処理する癖がつきました。
◆ 日本でもそうですが、停電になってしまうと何もできなくなります。台所の電気オーブンが使えませんし、お湯を沸かすこともできません。娯楽としてのテレビもビデオも使えませんし、復電するまで家族で集まっては他愛のない話をしているだけでした。ローソクを囲むようにして、子供たちとふざけあっていました。停電のおかげで、逆に家族の絆は深まっていったのかも知れません。一番大変なのは食事を作る時間帯を狙っての停電が頻繁に発生し、思うように食事もとれない日もありました。モンゴルにはガスがないので、食事はすべて電気オーブンでした。オーブンの使い方によって食生活も大きく左右してしまいます。たまにアジの干物などを日本の土産として頂戴することもあり、オーブンを使ってのチョットした工夫が大切でした。でも、これも停電になってしまうと大事にしていた冷蔵庫の魚が腐ってしまったり、焼いている途中のまま生焼き状態になったり、停電の苦労は在勤中解消されることはありませんでした。これも老朽化した火力発電所が原因なのですが、大規模に改修するだけの予算もなく、ただ外国の援助に頼るしかありませんでした。
◆ 頻繁に発生する停電のおかげで、当時1歳の息子が初めて覚えた日本語が「テイデン」でした。次に「ダンスイ」、そして「モッタイナイ」という言葉を覚え、不憫な日本人の子どもがいると在留邦人の中で話題になっていました。 |