生活資料の収集 
 vol.25  「モンゴル暮らし図鑑」を作りたい

 冬のモンゴルは確かに厳しい環境でしたが、日本からの観光客がほとんどいないので個人的には好きな季節でした。長い冬を過ごすため、モンゴルについて何かの形としてまとめたいと考えていました。ただモンゴル研究者でもなく、モンゴル語も満足に話せない人間が簡単に冊子にまとめようと思ってもまとめられる訳がありません。以前から自由市場を歩いて不思議なものを探したり、デパートでモンゴルの民芸品を求めたりするのが好きだったこともあり、生活や暮らしの道具についてなら素人ながらもまとめられそうだと考えていました。言葉で表現できない、「モンゴル暮らし図鑑」のようなものを作りたいと思い、大使館の現地スタッフから暮らしの聞き取りをしていました。

 たまたま自由市場ザハで知り合ったドルジェじいさんと仲良くなり、彼の家に何度も招待を受けました。家はウランバートルの西はずれにあり、移動しないゲルが無数に立ち並んでいる地区の一角です。お世辞にも清潔な地区とはいえない環境ですが、同じ場所から移ってきた人たちばかりで集落を形成しているようです。奥さんは彫りの深い顔で、カザフ族だと話していました。息子たちも青い目の西洋人という顔立ちをしています。

 彼の家に遊びに行く度に子供たちへチョットした土産を買っていくのですが、その度にあげるものがないからといっては古い木製椀や変な記念メダルをくれました。そのうち、ドルジェじいさんの近所では「金津は古い生活雑貨を集めているので協力してやってくれ」との噂が広まり、遊びに行くと近所の人たちが集まっては、得体の知れないものを持ち込むようになりました。まるでフリーマーケットのようでした。そのときにはアパートにあった子供たちが小さくて切れなくなった衣類や日本からコンテナで運んだ食料品などをお礼にあげていました。今度は自由市場ザハでも同様な噂が広まり、変な日本人が使わなくなった鍋や釜を買ってくれるぞと、ザハでは一躍有名になりました。ザハはモンゴル人でもスリや喧嘩が多い物騒なところだというイメージがあるのですが、何故か一人でザハに行くと「カナチが来たぞ」といってはザハを取り仕切る人たちがスリなどから守ってくれました。おかげでモンゴル在勤中にスリなどの被害に遭ったことは一度もありませんでした。

 これがエスカレートして、ある月曜日、現地スタッフが私に面会を求めているモンゴル人がいますよと告げに来ました。南ゴビ県から来ているらしいのですが、家にあった馬頭琴を買ってほしいと先週の土曜日から待ち続けていたらしいのです。こちらもそんな予定もないので引き払ってもらうことにしましたが、それでも「どうしても引き取ってもらわないと南ゴビ県に戻るチケットも買えないのです」と訴えられ、しぶしぶ妻から借金して買うことにしました。色々なところを回ってきたらしいのですが、最終的に日本大使館の「カナチ」に相談したらと言われたらしいのです。

 94年に帰国したのですが、その後もザハで日本人を見つけると「カナチはどうしている、元気にしているか」と聞いてくるそうです。たまたま知人が97年にモンゴルを訪問したとき、同じように「カナチはどうしている」と聞かれ「カナチ健在なり」と苦笑していました。今でも、この資料は誰から譲ってもらったものとか、1点1点に入手経過や聞き取りを記したノートが残っています。