◆ ウランバートルの北側に公設の自由市場があります。週3回ほど開かれていますが、日曜日はかなりの人たちで埋まり尽くしてしまいます。ザハは四方を板塀で囲まれており、入場するには入口で2トゥグルクの入場料が必要でした。ただ、いつも人が立って入場料を徴収しているわけでもなく、ややいい加減なところがありました。ザハは宿舎から歩いて40分程でしたが、散歩や街並み探索といった雰囲気で歩いていました。ザハで売っているものといえば、こんなしょうがない物と思うようなガラクタが所狭しと並べられています。
91年当時はモンゴル国内が深刻な物不足ということもあり、ザハにおいてもガラガラ状態です。壊れた機械の部品、空き瓶、怪しげなアンプル状の薬、手作りのホウキ、中国製の衣類や下着、石鹸といったものがありました。平日に出かけると本当に閑散としており、寂しい感じさえしました。特別ほしいようなものもなく、ただモンゴルの人たちの暮らしを理解するには格好の教材となりました。92年頃から物資も徐々に増え始め、シンガポールや中国などから運び込まれた電気製品も目立つようになりました。ザハの中に商品別の売場が固定し始め、ジュータンや家具類は西側コーナー、帽子や衣類関係は中央から北側、雑貨類は中央から東側といったように決められていきました。宝石や骨董品などは北側の東隅あたりに人が集まるようになっていました。骨董品といっても、当時は安っぽい仏像や嗅ぎ煙草入れ、銀の鞍金具、銀杯などが主でした。
◆ モノが増えてくると集まる人たちも多くなり、ザハの中は身動き取れないような煩雑さへと変化していきました。こんな調子ですので、置き引きやスリなどの窃盗被害が続出する始末です。特に外国人はよく目立ちますので、格好の餌食になるケースが頻発しました。とりわけ日本人は「金満日本」のイメージ通り、不用意にも全財産を入れたウェストポーチを下げている観光客ばかりが狙われました。
ひどいときには、同じグループのメンバーが1日に3度も被害にあった人たちがいました。モンゴルの警察官曰く、「日本人は決まってウェストポーチの中に高額なお金を入れているし、団体行動が多いせいか注意力が散漫で警戒心ゼロ」という指摘を受けました。ちなみに北京にいた知人家族が遊びに来て、是非ともザハに行って掘り出し物を調達したいという希望から一緒に出かけました。ただ、思っている以上に彼らはプロなので、お金は必要最低限だけ所持するようにと話したにもかかわらず、結局は所持していた5000ドル全てすられてしまいました。私たちも隣をガードしていたにもかかわらず、僅か数秒の間の出来事でした。ひとりのモンゴル人が骨董品を持ってきて話しかけた途端、ウェストポーチの紐が脇にいた人間に切られ、そのまま消えてしまいました。気が付いてみると、話しかけた人間も、脇にいた人間もみんな消えていました。
一人で車でザハへ出掛けるものなら、バックミラーなど必ず盗難に遭ってしまいます。誰かに車に乗ってもらう必要があります。観光でザハに行きたいという人たちもおりますし、モンゴルを知っている人間でもザハを知らなくてはモンゴルは分からないなどと嘯く人間もおりましたが、本当のザハを知らないからです。99年に移転して新しくなったザハは広大な敷地に豊富な物資が揃えられ、かつてとは雲泥の差で治安もよくなりつつあるようです。 |