邦人援護 
 vol.15  モンゴルらしい事案

 大使館の仕事には邦人援護という大切な仕事があります。モンゴルらしいチョット変わった事案があったので、簡単に紹介します。

 ある男子学生が一人でモンゴル旅行にやって来ました。特別な目的があったわけでもなく、ただ何となく憧れていた国の一つということで夏休みを利用した外国旅行でした。ウランバートル市内で日本語のできる若いモンゴル人に偶然話しかけられ、市内の観光案内を付き合ってくれたりと急速に仲良くなりました。その後、彼の両親がいるという草原に行き、モンゴルの醍醐味である牧民の生活を体験しました。こせこせした日本の生活と違い、何につけても大らかな人たちの暮らしぶりを見ているうちについつい1週間ほど長居してしまいました。そんなことは一切構わないという家族にも大切な客人として付き合ってくれたことに心まで許すようになりました。滞在中、彼の親戚や近くの牧民たちが集まって大宴会を開催してくれました。本人曰く、何の宴会だったかは分からないそうでした。それでも大切にしている羊1頭を解体してホンニ−ボードグという蒸し焼き料理を作ってくれたり、飲めや歌えやという大騒ぎの宴会でした。廻りの陽気につられた勢いでモンゴルウォッカのアルヒを勧められるがままに飲み干してしまいました。

 よほど飲みすぎたのか、気が付いたときには翌朝9時過ぎで太陽がこうこうと降り注ぐ時間でした。モンゴルの大草原は実に広いところです。よく周囲を見渡してみると、昨夜大騒ぎしたゲルが消えているではありませんか。十数人もいたモンゴル人の人たちは、そして彼とその家族は・・・・。・・・誰もいません。二日酔いと、自分が置かれている事実を直感して頭の中は真っ白けです。

 その夕刻、モンゴル人に連れられて日本大使館を訪ねてきました。まずは昨夜の状況を聞き、そして気が付いたときには道路のそばで寝ており、心やさしきモンゴルの運転手にウランバートルまで乗せてもらったということでした。警察に被害届を出したいということで大使館に来たのですが、なかなか事情聴取が進みません。初めてのモンゴル訪問で地名も分からず、友人の名前も通称の「ダワ−」しか分かりません。フルネームも分からず、訪ねた場所も分からず、方角もはっきりしていません。どこで被害にあったのですかと聞いても、「あちら方面」としか分かりません。相手は誰ですかと聞いても「ダワ−」以外は何も分かりません。

 こんな調子ですので、調書をとることもできませんでした。結局、リュックサックの中にはドル紙幣で2000ドルほど所持していたらしく、それを無くすると困るので彼の母親に頼んで保管してもらっていたそうです。どうも、預けていたドルがそっくり無くなっていたらしいのです。それでもパスポートや航空チケット、財布に入れていた500ドルは残っていたらしく、せめてもの彼らの良心だったのではないですかと諭しました。珍しいケースだとは思いますが、おそらく彼らに現金を見せなかったならば楽しいモンゴル旅行だったのかも知れません。でも、その家族は本当にどこへ消えて行ったのでしょうか?