◆ 日本文化を紹介する日本週間が終わったばかりなのに、今度は海部首相がモンゴルを訪問することになりました。4月に着任以来せわしい行事が続きましたが、首相が来るとなると大使館だけでは対応し切れませんので、外務省あげての大きな行事になります。本省の応援以外にも近隣公館からの職員応援としてロシア、中国、マレーシアから職員が派遣されて来ました。総勢30名以上が集まり、全員に役割分担が廻り、本部事務局、プレス対応、経済協力担当、通信、儀典関係、警備対策などあらゆる分野を各自が担当し、問題が発生すれば担当者間で打合せをしたり、モンゴル側に要求したり、毎日が戦争のような状態でした。毎日やり取りしている本省との電報の数も一気に倍増していきます。
◆ 私は主に警備関係を担当し、警視庁や警察庁からの先遣部隊との調整役です。首相が宿泊する迎賓館の間取りや調査表を作成したり、訪問先の危険箇所がないか調べたり、車列を組むときの台数や同乗者名簿を作ったりというように裏方に徹する仕事が中心でした。でも、おかげで普段は見られない場所にも調査確認と称して行くことができました。政庁前にあるスフバートル廟も見学し、内部にはスフバートルとチョイバルサンの頭部像と大理石製の棺が置かれていました。棺の中には遺骨が入っていると担当官が話していましたが、詳細は聞かずじまいでした。また、迎賓館の中には北朝鮮の金日成から贈られたという大きな朝鮮式テーブルがあり、通称「キム・イルソンの間」と勝手に呼んでいました。数十人が一度に会議ができる大きな螺鈿細工のテーブルでした。
◆ にわか外交官にとって「首相訪問」は初めての経験ですし、何が何だか分からないままにどんどん会議が進められていきます。毎日、午前中は全体会議に当てられ、昨日までの調整事項を報告したり、新たな事案に対しての討議があります。第1回目の会議ではたった1枚の打合せ用紙だったのが、毎日毎日、調整した事項が追加されていき、最終的には分単位の日程と詳細な内容が付加された一冊のロジブックが完成します。周囲は何度か経験しているので黙々と仕事を進めることができますが、こちらとしては何の説明もなく全体の姿がいつまでたっても見えてきません。今思えば、所詮は歯車の一部として指示されたことだけを処理するのが精一杯でした。
◆ これらの仕事以外にも通常業務はそのまま消化しなければならず、ビザ発給や邦人援護の仕事も相変わらず多く溜まっていきます。首相訪問も間近に控えていた頃、邦人が脳梗塞で倒れてウランバートルまで運ばれてきました。外国人用の第2病院に入ったときには、既に意識はなく緊迫した状態でした。日本にいる家族の方たちと連絡を取りながら、定期的に容態の確認をしておりました。病院は夜8時になると消灯になり、病室にはロウソクだけが灯されていました。夜中にも暗い中を家族に代わって付き添っていましたが、本当に心細いものです。残念ながら家族がモンゴル到着前に亡くなられました。その後、同僚の方が北京からドライアイスを運んでくれたり、棺を探したり、モンゴル側にお願いして花輪を探してもらったりというように慌しい時間が過ぎて行きました。ご遺体は海部首相の特別機に乗せられ日本へ戻りました。 |