モンゴル国概要 
 vol.7  大草原・遊牧民・元寇・チンギスハーン

 一般的にモンゴルと聞いて、まず何を想像されるでしょうか。大草原・遊牧民・元寇・チンギスハーン、そして大相撲で活躍している旭鷲山と旭天鵬というように、そのいずれも間違いではありませんが、またそれがモンゴルの全てでもありません。かつて90年まで社会主義国家として歩んできたモンゴルは、その情報を公開しておらず極端に情報量が少ない東側の国というイメージが強烈でした。モンゴルの位置は中国と旧ソ連に挟まれており、国土は日本の4.1倍以上の広さを有しています。その国土に240万人という世界一の過疎の国です。首都はウランバートルで、「赤い英雄」という意味です。かつてはウルガ、クーロンとも呼ばれていました。

 モンゴルの簡単な歴史から紹介しますと、12世紀末にモンゴルという名の一部族に現れたテムジンが各部族を統一し、1206年の部族会議においてチンギス・ハーンとして推戴されました。その後、世界史にもあるようにモンゴル勢力は拡大し続け、ユーラシア大陸を席巻するまでになりました。ところが国が大きくなればなるほどに各地で分裂がおこり、西モンゴルと東モンゴルに分かれました。

 その後も分裂はさらに続き、ついに万里の長城から北側、つまりゴビ砂漠から北側の草原地帯に落ち着いたのが現在のモンゴル国になります。1911年に中国の清朝が倒れた、その混沌としたときに独立を宣言したのですが、ロシアや中国の影響で外モンゴルと呼ばれる現在のモンゴル国だけが自治権を認められました。この関係で南モンゴルと北モンゴルに分けられてしまい、今でも内モンゴル自治区は中国に属しています。こちらの内モンゴル自治区とは兵庫県和田山町が積極的な国際交流を展開しています。

 そして1921年にロシアの赤軍の力を借りて、中国側独立し人民政府を樹立しました。それまでの君主は活仏でしたが、1924年に活仏が死ぬと共和制に移行しました。当時はロシアに次いで社会主義国家としては2番目に成立した国です。モンゴルが社会主義国家としては古い国だとあまり知られていませんが、社会主義崩壊まではロシアの盟友として歩んできました。1961年には国連加盟、1962年にコメコンに加入し社会主義圏としてソ連や東欧との関係もでき、多くの留学生を世にだし国の近代化が急速に進められました。

 日本とモンゴルとの関係は、鎌倉時代の二回に渡るモンゴル軍襲来「元寇」が初めての接触です。1281年の弘安の役は高麗とモンゴルの連合軍なのですが、このときの恐ろしさを伝える諺を全国に残しています。「むっくり・こっくり」というもので、得体の知れない怖いものを意味しています。「むっくり」は蒙古里、「こっくり」は高句麗が訛ったといわれています。すでに700年も経過しているというのに、未だに諺が生きているとは、余程恐ろしい経験を当時の人たちはしたのでしょう。私の故郷である宮城県石巻市にも「むっくり・こっくり」がありましたし、家内の実家のある青森県八戸市には「あもこ(あー蒙古)が来る」というものがありました。

 次の接点が満州とモンゴルとの国境でおきた1939年のノモンハン事件(モンゴルではハルヒンゴル戦争と呼んでいます)で、いずれも戦争に関わるものばかりです。第2次大戦後はシベリア抑留者の一部がモンゴルに移送され、ウランバートル市内の都市建設に従事させられました。このうち2000人弱の方たちが亡くなっています。寒いときには氷点下40度以上にもなり、その寒さのなかでの建設労働は苛酷そのものだったと伝えます。その後1972年に国交を樹立するまで、これといった交流はありませんでした。ウランバートル市内にある世界最大のカシミア工場はノモンハン事件の戦後補償で建設されたものですが、現在ではモンゴルの外貨獲得に大きく貢献しています。