いざウランバートルへ 
 vol.2  北京発ウランバートル経由モスクワ行の急行列車

 当時は北京とウランバートル間には飛行機が飛んでおらず、北京で荷物を調達しながら国際列車で行くことになっていました。飛行機による入国経路は、東京〜モスクワ〜イルクーツク〜ウランバートル、もしくは新潟〜ハバロフスク〜イルクーツク〜ウランバートル。夏季(5〜10月)のみ東京〜北京〜ウランバートルの3ルートがありました。イルクーツクからウランバートル間は列車(所用時間約25時間)を利用することもできます。飛行機はウランバートル市の南西約15kmにあるボヤント・オハー空港に到着します。

 北京より列車にて入国する場合には、北京発ウランバートル経由モスクワ行の急行列車(週1便、水曜日北京発、所用時間約30時間)、もしくは北京発ウランバートル止まりの普通列車(週2便、火・金曜日、北京発所用時間約40時間)のいずれかを利用することになります。但し、夏季(6〜10月)は普通列車はなく、北京〜ウランバートル間の急行が週1便運行されます。国際列車での赴任は私たちが最後です。1週間後の5月から週2便、北京間に就航するのですが、着任日の関係があり仕方なく国際列車の旅を楽しむことにしました。

 大量の引越荷物の手続きは北京市内の業者に委託し、家族で使う最低限の荷物としてスーツケースが4個と北京で調達したものがダンボールで10箱。お世話になった大使館の職員に挨拶し、派遣員の方に付き添ってもらい北京駅に出かけました。地方から北京を目指して出てきた人たちが駅から溢れ、駅周辺の路上まで大きな荷物を抱えて座り込んでいます。駅構内に入ると山ほどの荷物を抱えて長い行列ができているという生易しいものではなく、構内全体が大混乱しているのです。リヤカーを借りて荷物を積み、駅舎の脇を通りすぎてきましたが、駅員が中国語で怒鳴りまくっているのですが何故なのか分からず、そのまま無視して通り過ぎてしまいました。ウランバートル行きの列車がみつかり、派遣員の方に荷物を積み込んでもらって挨拶をして別れました。北京に着いてからずっとお世話になった派遣員の方は、外大を休学して中国語勉強のために派遣員を希望したというが、細かい気配りには脱帽しました。

 客車は「軟臥」と呼ばれ、日本ではA寝台に当たるもののようです。4人一室の2段寝台のコンパートメントで、昼はグリーン車に当たる軟座として使用します。軟座は4人向い合わせのボックスタイプで広々としています。座席にはカバーがかけられ、正面には固定式の小さなテーブルがあります。荷物は出入り口上の棚(廊下の天井部分)か下段ベットの中に入れます。車内をもう少し詳しく紹介します。乗降デッキから車内に入ると、トイレ、車掌室と並んでいる。車掌室の前にはサモワールと呼ばれる湯沸し器があり、いつでも熱湯が自由に使うことができます。サモワール前の扉を開けると廊下があり、コンパートメントがずらりと並んでいます。ベットの大きさは幅が65cmで、長さが約2mあります。上段ベットへ上がる梯子は足掛け程度のもので、上がりにくい代物です。照明は天井に蛍光灯、それぞれのベットに読書灯がついていますが、大分暗いように感じました。

 午後6時50分、家族を乗せたウランバートル行きの国際列車は定刻通りに北京駅をゆっくり滑り出すように出発しました。ユーラシア大陸に一大騎馬帝国を樹立した栄光の歴史を持っているモンゴル民族、そのモンゴル人民共和国の首都ウランバートルを目指して、いよいよ国際列車「東風号」の旅が始まりました。車窓には燃えるような夕焼けに映える北京の街が広がり、夕食仕度なのか各家からは美味しそうな白い煙があちこちと立ち昇っています。一坪にも満たない狭い4人用コンパートメント一室、これが我が家のマイホームです。テレビやビデオも無ければ、冷蔵庫も子どもたちのおもちゃも何もありません。あるものとすれば、4人分のスーツケースと二日分の携帯食料と飲料水があるだけです。6才と1才になる息子、それに妻との家族4人、北京で調達してもらった最後の日本食をほおばりながら、見知らぬ国に対する不安をも噛み締めていました。そして、家族の不安とは一切関係なく、国際列車は一路北へ北へと走り続けています。でも、車窓からの眺めが楽しく、少しも退屈は感じさせません。しばらく走ってから万里の長城が見えるはずですが、薄暗くて分かりませんでした。ただ、線路そばの看板に「八達嶺」と書いてあったので、八達嶺も近いことが分かりました。先日、万里の長城を見たとき、その壮大さに驚嘆させられ、「ここを越えると騎馬民族の世界だったのです」という通訳の言葉がとても印象的でした。

 コンパートメントの中では、下段ベットをソファーにして二人ずつ向かい合って座っています。家族4人分の荷物を上段ベットと物入れに押し込み、狭いながらも楽しいひとときの我が家といった感じです。考えてみれば、家族4人がこんなに狭い中に閉じ込められ、朝から晩までお互いの顔を見ながらゲームをしたりトランプしたり、馬鹿話をしたりというように、こういう時間の過ごし方を今まで経験したことがあったのだろうかと考えさせられました。日本の感覚からいえば、とても無駄に思えるかもしれない時間が、今の私たち家族にとってはとても大事な時間に感じました。窓際がかなり冷たくなっており、確実に北へ向かっていることが肌で感じ取ることができました。車窓から見える風景は乾燥した砂礫性の土地が続き、何時間走っても変化はありません。たまに通りすぎる集落も土作りの質素な家ばかりです。翌朝、目を覚ましたのは午前6時少し前でした。目を覚ましたというよりも、考え事をしてなかなか寝付けずに朝を迎えた感じです。おそらく妻も同じだったのだろうか、何となく目が充血していました。二人の息子たちはいったい何を考えていたのだろうかと、ついぞ聞かないで済ませてしまいました。考えてみれば、家族でモンゴルに赴任するなんて数年前まで考えたこともありませんでした。「にわか外交官」の始まりです。

八達嶺の万里の長城 空から見たウランバートル近郊